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- 立山黒部貫光無軌条電車線
- 21/11/05 13:41:06
事件が発生したのは、いわゆる“旧日米安保条約”が締結された1951年のことだ。ラジオの民間放送や、当初は正月のラジオ番組だった『紅白歌合戦』、プロ野球オールスターゲームはこの年に始まっている。まさに戦後復興期の最中であった。
10月10日、神奈川県横須賀市在住の大森ゆきのさん(仮名:29歳※事件発生当初は複数社が32歳とも報道)は、長女(9歳)、長男(6歳)、次女(3歳)を連れて千葉県の房総半島を訪れた。仕事の都合で同地周辺に滞在していた夫の一朗さん(仮名:40歳)に会うことが目的だった。
夕方遅く、安房郡小湊町(現・鴨川市)にある国鉄(現・JR東日本)上総興津駅の待合所で、ゆきのさんは肩を落としつつ子供たちと体を休めていた。小さな駅の最終列車はすでに出発していたのだ。
そこに自転車に乗った若い男が近寄ってきた。行き先を尋ねられたゆきのさんが、館山方面(諸説あり)に行く予定であることを告げると、男は“自分も同じ方向に行くので、自転車に子供を乗せて一緒に歩いていこう”と誘った。目の前の見知らぬ男を心強い存在だと思ったからなのか、不安に感じつつもやむを得ずだったのかは分からないが、ゆきのさんは申し出を受け入れてしまった。
ちなみに、2021年にGoogle Mapが示す、上総興津駅から館山までの徒歩での所要時間は9時間を超えている。しかし、終戦から6年後、外房のローカルな駅前に、「タクシーを拾って近くのビジネスホテルへ」といった選択肢などなかったのである。
本性を顕にした男の凶行
ゆきのさんは次女を背負い、男は長男を乗せた自転車を押しながら、長女は自分の足で、暗い夜道を歩いていった。
しばらく経つと、親切そうに振る舞っていた男の様子がおかしくなる。
ゆきのさんに対し肉体関係を迫る性的なハラスメントを開始したのだ。3人の子供を連れた母親がそれに応じる訳がなく、拒みつつも、男を怒らせないように軽くいなしてその場を切り抜けた。だが、男はそのとき、惨忍な計画の実行を決意していた。当初からその目的は、館山に行くことでも、心細そうな母子を助けることでもなかったのである。
一行はやがて、国道に面した「おせんころがし」と呼ばれる断崖に差し掛かった。
「おせんころがし」の通称は、当地の領主の娘「お仙」が、強欲な父親を改心させるために、自ら身代わりになって村人に崖から突き落とされた──という民話に由来する。
身がすくむような険しい崖の付近で、男は突然、本性を顕にした。自転車を押し倒したかと思うと、道路に転がり落ちた6歳の長男の頭部を石などで殴ったうえに、体を持ち上げて数10mの崖の上から放り投げたのだ。またすぐに、路上にしゃがみ込んだ9歳の長女の手足を強引に引っ張り、崖下に投げ落とした。
絶望感と恐怖感に震えながらも「言うとおりにするから」と命乞いをするゆきのさんを男は草むらのなかに連れ込んだ。そして、むしろの上で彼女の体を好き放題にしながら、紐状のものを首に巻き付け、きつく締め上げたのだった。
しかし凶行はそれだけでは終わらなかった。ぐったりしたゆきのさんを崖下に落としたばかりでなく、まだ幼い3歳の次女も同じく崖から落下させた。さらに男は、自ら崖下に降りていき、確実に殺すために、倒れていた母子の頭を石で殴打している。
奇跡的に助かった長女
事件が発覚したのは10月11日の朝のことだ。現場付近で女の子が泣いているのを通りがかりの僧侶が発見。その子は、おせんころがしから突き落とされたものの奇跡的に助かった長女だった。
その場から逃げて隠れたため、男に石で殴られずに済んだのだ。彼女から事情を聞いた僧侶が付近を探すと、県道から約50m下の海岸の草むらに、裸の成人女性と2人の幼い子どもの遺体が見つかった。
警察はそれから2週間以内に容疑者として2人の人物の身柄を拘束したが、両者ともシロであることが判明。当事件の真犯人が特定されるのは、しばらく先のことになるが、逮捕までの間、この凶悪犯の身勝手な犯行により新たな犠牲者が出てしまうことになる。詳細は後編<女性や子どもばかり7人を殺害…日本で初めて二度「死刑判決」を受けた男の歪んだ快楽
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