• No.21 涼村さんご

    21/11/21 14:38:22

    第4週
    「1943-1945」

    11月22日(月)
    稔(松村北斗)の出征を見届けた安子(上白石萌音)。稔の子を授かっているとわかったのは、稔が出征した二か月後のことでした。
    ラジオからは連日アメリカからの攻撃の知らせが流れ、勇(村上虹郎)も徴兵が決まり、戦争はさらに安子たちの日常を変えていきました。
    時が経ち、安子は元気な女の子を出産しました。
    名前は『るい』。稔が考えた名前です。
    しかしその名前に込められた本当の意味は、周囲には明かせないもので…
    ●昭和19年 9月14日 安子は長女・るいを出産
    稔と「ディッパーマウスブルース」で聞いていた曲の歌手のルイ・アームストロングから名付けた
    どこの国でも自由に往来でき、外国の曲も自由に聴けるそんな世界を自分の子供には生きて日向の道を歩いてほしいと意味を込めている

    11月23日(火)
    1945(昭和20)年。
    安子(上白石萌音)は赤子のるいを連れて橘家に帰り、久々にひさ(鷲尾真知子)や金太(甲本雅裕)、小しず(西田尚美)たちと思い出話に花を咲かせ、あたたかな時間を過ごしていました。
    しかしその頃、戦況は悪化の一途をたどり、B29による爆撃は東京、大阪と次々に市街地を襲っていました。そしてとうとう岡山でも空襲が始まりました。安子はるいをおぶって、焼夷弾が降る中を必死に逃げ惑い…
    ●安子が育った商店街は何もない焼け野原になった
    ☆史実では岡山は空襲警報が出ず、不意打ちの空襲となった
    市街地の73%が火の海になり、死者1737人、負傷者6026人となった

    11月24日(水)
    空襲で心に大きな傷を負った金太(甲本雅裕)は、空襲からひと月経っても床に伏せ続け、心と体は回復しないままでした。落ち込みながらも父の世話を献身的に続ける安子(上白石萌音)。
    そして8月15日、ラジオからは玉音放送が流れ、日本は終戦を迎えました。
    ある日、安子はお供えのおはぎをつくろうと、金太にあんこの作り方を教えて欲しいと声をかけますが…
    ●空襲で母・小しず、祖母・ひさが死亡

    11月25日(木)
    「たちばなの菓子で救われる人が、きっとおるはずじゃ」再び、菓子作りへの意欲を取り戻した金太(甲本雅裕)。
    戦後焼け野原となった岡山の町も、少しずつ復興に向け動き出していました。安子(上白石萌音)は材料集めに奔走し、幼い頃からの憧れだったあんこ炊きを金太から教わります。
    そうして出来上がったおはぎを売りに町へ出ると、持ち逃げしようとする小さな手が…。その男の子を引き止めた金太は、とある賭けをします。
    ●金太が「たちばな」の再建に立ち上がる
    安子も金太と共に和菓子づくりをする
    砂糖がまだ手に入らず、人工甘味料を使う和菓子が飛ぶように売れた

    11月26日(金)
    菓子作りに命を燃やした金太(甲本雅裕)。
    その突然の死を見守ったのは、おはぎを持ち逃げしようとした男の子でした。
    金太におはぎ売りを託された男の子は商いの楽しさを知り、新たな人生を歩みはじめます。
    そして戦後から3か月半。4年ぶりに「基礎英語講座」が復活しました。安子(上白石萌音)は、稔(松村北斗)の帰りを心待ちにしながら英語の勉強を再開。
    るいをあやしながら家事をしていると1人の復員兵の姿が現れ…
    ●父・金太が死亡する(突然の死…らしいが死因は不明だけど…)
    ●復員兵から稔が戦死した報告を安子は受ける

    11月27日(土)
    「第4週 1943-1945」のおさらい

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