6歳で殺害された息子の死に「意味」を...父親の闘いが社会と政治を動かした

匿名

シキンボウ

21/10/09 17:17:36

10/9(土) 13:01配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/8d116b9053f10c457e42ce5b141062533755a1bb?page=1
1981年7月27日、私の家族は永遠に変わってしまった。その日、妻のルベは6歳の息子アダムと、フロリダ州ハリウッドのデパートで買い物をしていた。
正午過ぎ、見本の家庭用ゲーム機で遊ぶ子供たちを見ているアダムを置いて、妻はその場を離れた。安全な場所のはずだった。

だが数分後に戻ってくると、アダムはいなくなっていた。

後に判明したことだが、子供たちがけんかになり、アルバイトの17歳の警備員がアダムもその群れの1人だと誤解したという。警備員は子供たちに店から出ていくよう命じ、そうしてアダムは姿を消した。

地元警察は、アダムが勝手にどこかへ行ったに違いないと判断した。法執行機関からは事実上、何の支援も得られず、私は自分で動くことを迫られた。メディアに働き掛け、失踪から16日後になって、ようやく息子の写真が全国放送のテレビ番組に登場した。

同じ日、わが家から200キロ近く離れた排水路で、アダムの遺体の一部が発見された。ほかの部分は見つからないままだった。

私たちのように、想像を絶する悲劇に苦しむ家族をこれ以上出さない――。妻と私は活動に乗り出した。

行方不明児童法がアメリカで立法化されたのは82年10月。84年には、行方不明児童援助法が成立した。前者は極めて強力な法律で、FBIは全ての行方不明児童をデータベースに登録することを義務付けられた。

これこそ、アダムが行方不明になった後に当局に懇願したことだ。私たちの取り組みが始まるまで、身元不明の死亡児童を網羅する全国的データベースは存在しなかった。

その後、私は捜査番組『アメリカズ・モスト・ウォンテッド(AMW)』の司会者になったが、番組に参加するに当たっては条件があった。警察ではなく、法の知識を持つ者が応じるホットラインを設置することだ。取り上げる事件は私が選び、連邦保安局やFBIと直接協力したかった。

事件の27年後に明らかになった真犯人

『AMW』は膨大な視聴者を獲得した。番組が始まってから25年以上の間に、逮捕に貢献したり、逮捕の決め手になった指名手配犯は1186人。以降もテレビでの活動を通じて、私はさらに数百人の犯罪者の逮捕に関わってきた。

アダムの死から27年が過ぎた08年、求め続けてきた正義がやっと訪れた。連続殺人犯のオーティス・トゥール(服役中の96年に死亡)が犯人だと公的に特定されたのだ。当時、フロリダ州ハリウッドの警察署長だった勇敢なチャド・ワグナーが自身のキャリアを危険にさらして、事件資料を公表したおかげだった。

いくらかの慰めになる出来事だった。

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