- なんでも
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質問日2019/01/26
ID非公開さん
昔の看護師さんは貧しい家庭の出身が多くて、病院に奨学金を出してもらって学びお礼奉公している人も少数ではなかったと聞きました。実際に昭和の古い映画やドラマでは看護師さん(当時は看護婦さん)たちは寮で一緒に食事しながらきつい先輩や辛い仕事への愚痴をこぼしたり涙を流したりしながら、お互いに励まし合って結局は田舎に戻らず仕事を頑張っているようなシーンを見たりします。
回答日2019/01/28
食いっぱぐれないとかよく言ってますが、底辺しか見た事の無い人間特有の発想。
貧しくなければない発想。
貧しいから夜勤をして働く仕事に目が向く。
回答日2019/01/28
ID非公開さん
歴史的には慰安婦、住み込みの悲しい歴史がありますね。
住み込みは今もあります。
他回答より抜粋
●思い出しますね…。本当に可哀想でした。
昔の芸者置屋みたいな感じで、狭い部屋に寝起きして、院長の子の送り迎えやら便所掃除も看護師の仕事でした。
院長が優しいところはいいんだけど、気難しかったり、色気が強いと体まで提供するのが珍しくなく、今では犯罪みたいなやり方で好きにされて、奥さんからも泥棒ネコ扱いで当たられて、田舎に帰ろうにも居場所もなく、黙って耐えるしかなかったでしょう。
一回人がいる前で顔をパーンとはたかれて、歯を食いしばってました。怒鳴られるのもいつものことで。
院長のお嬢さんがピアノの稽古に行くのに革靴を磨かされたり。
貧しいことは本人には何の責任もないけど、生まれた家でこんなに違うものかと思いました。
今はそんなことないと思いますが、普通のお嬢さんには厳しいですね。
経済的に貧窮している家庭の子女のために資格を、というのが始まりで、部落解放同盟の働きかけもあり、同和特別枠が設けられました。
当時は、普通の家庭から看護師になることが極めて稀でだったためです。
貧民救済の色合いが濃いのが看護系の奨学金制度です。
女子刑務所では受刑者の3割強が看護師免許を持ち、多くは母子家庭です。
●無料で教育を受けられるうえに、わずかながら賃金も支払われていたので、当時「娘を売ります」と張り紙をするような貧しい家庭にとっては渡りに船の話でした。大勢の兵隊の生身に触れ、共に寝起きする生活ですから、送り出す親も薄々は性奴隷をさせられるかもしれないという意識はあったかもしれません。
人の命が羽のように軽かった時代、戦況の悪化と共に、看護師の名目で集めた女性を慰安婦に転じる事は、特に問題視もされず、省みられる事もなかったでしょう。
人権などという認識すらなかった時代です。
着いた直後の看護婦は、まだ若く、性病にも侵されていなかったため、大人気で兵隊が列をなしたと聞いています。
出産直後の女性もいたそうで、乳が張って着衣に染みていたそうです。
敗戦が確定すると、今度は中国人、ソ連兵の手にかかり、殆どの者が梅毒に罹患していました。
中には軍医の立場で全てを知りながら、ソ連軍の将校と手引きをし、看護婦引渡しに協力的だった者もいたようです。
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これより私見ですが、この時代ほどの悲哀はないとしても、基本的にする仕事は遺体を拭いたり、陰部を拭いたり、まだ未婚の若い女性がするにはあまりに過酷な肉体労働であることに何ら変りはありません。
よほど貧窮した経験があったり、失業した経験がある親御さんでなければ、まず娘に薦める職業ではないと思います。- 3
21/10/10 09:25:10