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- 21/09/23 07:07:05
【写真】男性の遺体の腹に「赤ん坊」を縫い込んだ…東大卒医師の残酷すぎる行い
※1957年当時の朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日本経済新聞 などの報道をもとに構成しています。またわかりやすさの観点から、当時の紙面 を平易な文章に修正している箇所があります。
※新聞紙面情報に基づき、殺人事件の描写に関する記述があります。
12歳の息子が行方不明に…届いた脅迫状
「ついにさがし求めていたかわいい男の子をみつけた」
犯人は日記にそう記していた……。1957年4月2日夜、東京都中野区在住の中学1年生・大倉一典さん(仮名:12歳)が“銭湯に行く”といって出かけたまま行方不明になっていた。当時は日本の一般住宅に内風呂が当たり前のように普及する以前である。
母親の須藤ふじさん(仮名:36歳)は警察に連絡することをしばらくためらったが、2日後の4月4日に脅迫状めいたハガキが届いたことでようやく通報を決意する。
「セガレを返してほしければおかあさんが四日午後四時までに、鶴ケ島駅に十五万円持って来い。警察に知らせたら、子供を殺すかも知れない」(朝日新聞4月5日付朝刊)
手紙の内容を受けて、警視庁野方署(中野区)は東武鉄道東上本線「鶴ヶ島駅(埼玉県)」に捜査員を配置したものの、指定の時間に犯人らしい人物は現れなかった。
警察は当初、一典さんが珍しい家庭環境で暮らしていたこと、ふじさんと離婚した一典さんの父親が海外に長期滞在中の著名スポーツ関係者であることに、事件解決のカギがあると睨んでいた。しかし、それはとんだ見当違いだった……。
少年が同級生に伝えていた“懸念”
誘拐事件として捜査を本格化させた警察は、一典さんの同級生で隣家に住む岸田明夫さん(仮名:12歳)から複数の重要な証言を得た。
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(1)岸田さんは4月2日の夜、一典さんと一緒に近くの銭湯に行った。
(2)銭湯で見知らぬ30歳ぐらいの男が一典さんの背中を流しているのを見た。
(3)一典さんは、背中を流していた男について「昨日も流してくれたんだよ」と言っていた。
(4)一典さんは「僕はあのおじさんに誘拐されるかもしれないから、顔をおぼえておいてくれ」とも言った。
(5)気がついたら2人とも銭湯からいなくなっていた。そして、行方不明になって数日後、岸田明夫さんの家に、差出人欄に一典さんの名前が書かれた封書が届いた。
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「手紙は便せん一枚にペン書きで『明男君、僕は幸福に暮らしているから安心して下さい。僕はフロで流してもらった人に沢山面白いことを教えてもらった』と子供らしい字で書いてあった」(毎日新聞4月8日付朝刊)
やはり、一典さんは“銭湯の男”と行動をともにしているのだろうか? なお、手紙では岸田さんの名前の文字が誤って記載されていた。
急展開を迎えた事件……
4月9日、事件は急展開を迎える。中野区内に住む図書館の臨時職員・森淳太朗(仮名:26歳)が有力容疑者として逮捕されたのだ。森は3日前から精神科・神経科の専門病院に入院中だった。
警察が森の身柄を確保した経緯は下記の通りだ。
4月9日の午前中、森宅(両親が同居)に入院先の医師・石川幸四郎さん(仮名)が訪ねてきた。病院で森が気になることを口走ったため、万が一を考えての訪問だった。そして石川さんは、森の部屋の畳に血痕と不安定な箇所があるのを見つける。
「まさか……」
病院で森が口にしたのは“子供を殺した”といった旨だったのだ。
思い切って畳を剥がしてみると、床板に約1m四方の穴が空いていた。その穴を覗き込んだ石川さんは我が目を疑う。薄暗い床下に、胴体から切り離された人間の顔が見えたのである……。身元が特定されるのは後のことだが、それは金魚鉢のなかでホルマリン漬けにされた大倉一典さんの頭部だった。→
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サガリ