- なんでも
- ヒレ
- 21/09/19 20:27:50
数千年前に、漢族の祖先が江南地方に定住し、稲を植え、漁労をして、徐々に豊かな土地を切り開いた。
しかし、江南地方は土地が低いため、いったん雨が降れば水害が起きやすく、しかもこのあたりには、2本のはさみと8本の足を持つ虫がいて、
水田に入り込んで、稲を喰ったり、はさみで人を傷つけたりしたので、人々は「夾人虫」(きょうじんちゅう)と呼んで、まるで虎や狼のように恐れていた。
夏王朝を建てたと言われる、治水に秀でた大禹(だいう)は、巴解(はかい)という勇猛な男を陽澄湖に派遣して、河口に通ずる水路の工事を命じた。
工事が始まり、夜に火を焚くと、これを見た「夾人虫」の大集団が泡を吹きながら集まってきて、工事にやってきた作業員達を襲い、血生臭い戦いが一晩続いた。
朝になって、「夾人虫」はやっと水中に撤退したが、多くの作業員が殺されてしまった。
「夾人虫」がいると工事ができない事に困った巴解は、思惑を巡らした結果、一計を案じ、堀を巡らせた城を築き、堀には湯を入れた上で、夜に火を焚いた。
「夾人虫」はまた集団でやってきたが、思惑通り湯の入った堀に落ちて死んだ。次から次にやってくる「夾人虫」を相手に、どんどん堀に湯を足して殺してゆくと、赤い色に変わった「夾人虫」は、甲羅を開いて、いい香りになった。
これを見た巴解が手にとって食べてみると、おいしかったので、他の仲間にも食べるように薦めた。
こうして、「夾人虫」を退治する方法を考えた巴解は、勇猛な男とあがめられ、「夾人虫」は「巴解」の足元にいる虫という意味で「蟹」と呼ばれるようになった。
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