急上昇
ネック
熱が出たのはインターハイが始まる10日前の昼間だった。
「その日は練習はオフで、昼寝をしてたらなんだか体が熱いなあと気づきました
熱を測ったら36度9分。不安でその夜は眠れなかった。翌朝は37度5分に上がった。
「もうヤバいなと思いました」
母親に付き添われて病院の発熱外来へ。鼻の粘膜を採取する方法で検査を受けた。
「陽性ですね」
医師に告げられた瞬間、頭の中が真っ白になった。涙がぼろぼろこぼれた。
「本当にショックで、チームのみんなに申し訳なくて。あんなにつらい思いをしたのは初めてでした」
そんな体験を話してくれたのは、バスケットボールの強豪校として知られる近畿大学附属高校のA君だ。近大附属は、全国高校総体(インターハイ)バスケットボール男子大阪府第一代表。A君は主要メンバーのひとりだ。
■相次ぐ出場辞退
7月からの五輪期間中、東京都を中心にコロナウイルスの感染拡大が深刻化した。五輪閉幕翌日からスタートした夏の甲子園で2校、7月下旬から競技ごとに開催されたインターハイでも、コロナ感染による出場辞退が相次いだ。8月11~17日だけで8競技15校が出場を辞退したという(8月17日毎日新聞配信)。A君が所属する近大附属も、彼の感染により辞退の決断をすることになった。
感染拡大リスクは怖いが、出場したい、出場させたい。生徒も指導者も保護者も、それぞれがねじれた感情を抱えつつ「自分が感染したら」「うちの部員が」「もしもわが子が?」と緊張を強いられてきた。そのなかで感染した当事者は、どんな気持ちで現実と向き合ったのか。家族、また学校や顧問教諭の協力・了承を得たうえで、生徒が話を聞かせてくれた。
「顧問の先生には、母親が連絡してくれました。僕は部屋のベッドの上にうずくまってました。少ししてから先生から電話があって。泣いてしまって、言葉にならなかったです。先生は笑いながら『気にせんでいいよ。仕方ないんやから』と言ってくれました。インハイ(インターハイ)の関係者に連絡をとって、(出場できる)道がないか一生懸命動いてくれたようでした」
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No.1 主 ネック
21/08/27 16:31:37
同校バスケット部はインターハイ前の近畿大会で準優勝と過去最高の結果を出していたが、最終的に全国大会への道は閉ざされた。傷心のA君のところに次々とメッセージが届いた。
「残念だったけど、ウィンターカップ(12月開幕のバスケット独自の全国大会)もある」
「心配するな。みんな気にしてない。大丈夫だよ」
「みんな前を向いている。早く帰ってきてな」
卒業生からも「元気出せ」「ウィンターカップに出ろよ」といった励ましの言葉がスマホ画面に並んだ。
中学時代の恩師からも電話をもらった。
「この経験を次に生かせよ」
胸がいっぱいになった。
■隔離解除、顧問とメンバーの反応は…
陽性がわかった翌日は体温が39度まで上がった。解熱剤を飲みながら、3日かけて少しずつ下がっていった。
「最初は関節が痛かったです。病院では解熱剤と鼻水を止める薬だけもらいました。ただ、息苦しくなかったし、味覚や嗅覚も最後まであったので、かなり軽症だったんだろうと思います。母から息苦しくなったらすぐに病院に連れて行くからと言われてはいたのですが、逆に急変したらどうしようとか考えすぎてしまい、しんどくなった。テレビやスマホのニュースを見ると、重症化した人や後遺症のこととか報じられていたので。不安になって、水を飲むときに手が震えたりしました。食欲はなくて、体重は5キロくらい減りました」
アクシデントに耐え2週間、隔離解除の日がやってきた。顧問から電話があり「練習においで」と言ってくれた。
「体育館に入ったら、みんながそばに来てくれました。大丈夫? と言ってくれて。泣かんとこうと思ったけど、みんなの顔を見たら、もう涙が止まらなかった」
インターハイ男子バスケットが開幕したのが7月25日。A君が所属する近大附属をはじめ、ほか2校が大会中に辞退を決めた。東京都代表の実践学園は昨冬のウィンターカップに次ぐ辞退で、感染者が多い都市部での感染予防の難しさを印象付けた。
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