《大津小1女児暴行死事件》「私は5度の結婚歴があります」複雑な家庭環境

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  • テール
  • 21/08/17 08:00:18

※長い記事

《大津小1女児暴行死事件》「私は5度の結婚歴があります」複雑な家庭環境と子供への思いを母親が40分激白 また一緒に暮らしたいかと問われ…

滋賀県大津市の無職の少年(17)が、小学校1年生の妹Mちゃん(6)を暴行して死亡させた事件。

 文春オンラインはこれまで、Mちゃんや少年が児童養護施設で育ったこと、2人が母親と暮らすようになったのは4月からであったこと、そして事件当日まで母親が数日間家をあけていたことなどを報じてきた。

 さらに取材を続ける中で、再び母親に話を聞くことができた。その直撃取材で、Mちゃんと少年にはさらに2人の兄弟がいることが判明した。電話の向こうで何度も言葉に詰まりながら、母親は一家の複雑な家庭環境や子供たちへの思いを少しずつ語った。

「7月22日から事件当日までは、仕事で借りている大阪の家にほとんどいました。すぐに帰る予定だったのですが帰れない日が続き、長男にある程度のお金は渡していたのですが心配になり、7月30日には近所の知り合いに頼んで様子を見てもらいました。お金が足りなかったら渡してほしいと頼んだら、1000円だけ渡してくれたそうです。ご飯も作り置きはしていましたが、長男に頼りすぎていたのかもしれません」

5度の結婚、4人の子供

――Mちゃんが倒れていた公園にはよく行っていたのですか?

「家から一番近かったので、よく行っていました。Mは他の子がたくさんいると、恥ずかしがって遊具で遊ばなかったので、行くときはいつも長男と私と一緒でした。ジャングルジムは『落ちたら危ないから絶対に登ったらダメ』と言っていました」

――Mちゃんには17歳の長男の他にも兄弟がいると聞きました。

「私は5度の結婚歴があります。子供は17歳の長男と高校1年生の次男、それに6歳だった長女のMと3歳になる三男の4人です。長男と次男の父親が同じで、Mの父親は別の男性です。3歳の子どもの父親が、今の夫です。次男と三男は今も施設で生活しています」

――今年の4月から大津市内で一緒に暮らし始める前、Mちゃんと17歳の長男は児童養護施設で生活していました。児童相談所がお母さんによる育児は困難と判断していたとのことですが。

「その通りです。Mは生後8カ月から施設にお願いをしていました。大事に育ててくれた施設の先生たちには感謝しています。去年の3月に引き取る予定だったのが、コロナで1年延びて今年の4月から一緒に暮らすことになっていました。長男は小学校3年生から児童養護施設で育ち、私は親族から面会を止められ、海外に行っていることになっていました。それが今年になって長男が会いたがっていると聞いて2月に久しぶりに会い、4月から一緒に暮らすことになりました。『優しい子に育ってよかった』と思っていました」
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    • 21/08/17 08:02:23

    「できることなら、またいつか一緒に暮らしたい」

    ――事件当時、まだ一緒に暮らしはじめて4カ月しか経っていない子供を2人残して家を離れていたことについて、育児放棄ではないかという声もあります。

    「育児放棄したという気持ちはありませんが、それでも悪いのはすべて私だと思います。長男が警察の方に『Mの世話が辛かった』と話していると聞いて、そういう気持ちだったんだなと……。長男はもう大人だから大丈夫という感覚でいたのですが、お兄ちゃんだからって無理して我慢させていたのかなって思います。仕事がしんどくても、私が家に帰らないといけなかったんです。長男も誰かに甘えたかったのだと思います。会って謝りたいです」

    「面会はできないので、13日に警察署に服や下着、お金を差し入れに行きました。お金は前に渡していた分を使っていなくて、残っていると聞きました。息子は『Mが可哀想で申し訳ないから、全部ちゃんと話します』と刑事さんに話していたみたいです。私も、どこで何があって、どうやってMが死んでしまい、最後に何を言ったのかを知りたいと思っているので、警察の方に聞かれたことには何でも答えています」

    ――長男が罪を償ったら、また一緒に暮らしたいですか?

    「Mともっと一緒にいたかったし、いつか長男ももっと抱きしめたいです。長男は優しい子なんです。今も私のことを心配していると思います。私が仕事で帰りが遅くなるとMと2人で部屋を掃除してくれたり、Mが好きなカレーを私の代わりに作って食べさせてくれたり。17歳という遊びたい年頃なのに、給料を全部私に渡してくれたこともありました。オシャレもしたいのに、好きな事もできずにいたんです。Mも長男も大事で、私の子なのは同じ。できることなら、またいつか一緒に暮らしたいです……」

     現在も捜査は続いているが、長男は全面的に容疑を認め、反省の言葉を口にしているという。

    • 3
    • 21/08/17 08:07:17
    • 1
    • 21/08/17 08:09:05

    《大津小1女児暴行死事件》17歳と6歳の子供を残して母親は大阪に滞在「毎日楽しかったらなんでもいっか、、、笑笑」

    「オレ、捕まるのかな……」

     事件があった8月1日、警察の事情聴取を終えて自宅に帰宅した17歳の少年は、不安そうな声で母親に一言、そう漏らした――。母親は「Mは何か言っていた?」とだけ聞くと、それ以上少年を問いただすことはなかった。

     8月1日、滋賀県大津市の17歳の無職の少年が小学校1年生の妹Mちゃん(6)を暴行して死亡させた事件。少年は当初、「妹が公園のジャングルジムから転落した」と言って、近隣住民に助けを求めた。しかし、その後の警察側の捜査で、実際には兄である少年がMちゃんを自宅で殴ったり蹴ったりした揚げ句、右副腎破裂やろっ骨骨折などのケガを負わせ、死亡させたと見られている。

    文春オンラインはこれまで、Mちゃんが亡くなるまでの経緯や、Mちゃんの家庭が経済的に困窮し、家賃を滞納していた事実などを報じてきた。

     その後の取材で、事件の数日前から母親が子供2人を残して1週間ほど家を留守にしていたことがわかった。Mちゃん家族をよく知る人物が説明する。

    体の右半分にアザが集中していた

    「Mちゃんが亡くなった日、母親は大津ではなく大阪に滞在していました。もともと母親は家を空けがちで、今回も数日前からMちゃんと少年の2人を残して家を離れていました。8月1日の朝に警察からの電話で『Mちゃんがジャングルジムから転落して救急車で運ばれた』と聞かされ、慌てて車で大津へ向かっていましたが、その時も怪我程度だろうと思っていたようです」

     しかし、Mちゃんは搬送先の病院で死亡が確認された。捜査関係者は、Mちゃんの遺体の“異様さ”を指摘する。

    「Mちゃんの死因は『外傷性ショック』です。遺体は目が開いたままの状態だった。体には無数のアザが見つかったが、その大半が体の右半身に集中していた。これは左利きの人間が暴行を加えた時に起きる特徴。そして事件当時一緒にいた17歳の少年は左利き。不審に思った警察は、事件当日から少年による暴行の可能性を想定して、少年と駆けつけた母親の2人に事情を聞いていた」→

    • 4
    • 21/08/17 08:09:56

    >>10
    「毎日楽しかったらなんでもいっか、、、笑笑」

     事件当日、警察での事情聴取を終えると母親と少年は一度自宅へ戻った。「オレ、捕まるのかな……」という冒頭の発言は、その夜のものだ。

     翌8月2日にはMちゃんの司法解剖が行われ、100カ所ほどのアザや内臓破裂、肋骨の骨折が確認された。同日、警察は詳しい事情を聞くために自宅を訪問。母親と少年に任意同行を求め、警察署で別々の部屋で聴取した。

    「母親は警察の事情聴取に『子どもに手を挙げたことはない』『息子がMを叩くところを見たことがないし、可愛がってくれていた』と説明。しかし少年は取り調べに対して『妹の世話が辛かった。泣いてうるさかった』『言うことを聞かなかったので、髪の毛を引っ張ったり叩いたり踏みつけたりした』『自分がやりました。母はやってない』と供述した。母親は『Mちゃんの死とは直接関係がない』と早々に判断されたが、少年への取り調べは続き、8月4日に傷害致死の疑いで逮捕された」(同前)

    警察発表によると、Mちゃんに対する少年の暴行が始まったのは7月22日だという。その前日の7月21日にMちゃんの母親は「今日から夏休みです。ワクワクで、何しようかな?毎日楽しかったら何でもいっか、、、笑笑」というコメントとともに笑顔のMちゃんの写真をSNSに投稿している。

     前出の一家をよく知る人物が明かす。

    「母親は大阪出身で41歳。ですが、色白で髪も綺麗な茶色に染めているので若く見えます。最近まで介護施設に勤務していましたが、今年5月に退職。その頃から経済的には苦しい状況だったようです。少年は母親似で色白なイケメンで8年前、小学校3年生の時から母親の元を離れ、児童施設で暮らしていました。Mちゃんは大人しい性格です」

     しかし今年4月にスタートした初めての「家族水入らず」の生活は、順調とは言い難いものだった。→

    • 2
    • 21/08/17 08:12:11

    >>13
    長男がカラオケで歌った「感謝ソング」

    「6月上旬に母親、少年、Mちゃんの3人でカラオケに行ったと聞きました。少年がベリーグッドマンの『おかん~yet~』という曲を入れて“ありがとう ありがとう 明日も明後日も 大好きなお母さん 幸せな姿見せたくて”と歌ってくれたと母親が感動してSNSに書き込んでいました。

     しかしMちゃんは育った施設の先生やお友達と離れたことが寂しくて、『施設に戻りたい』と泣くこともあったようです。母親が家を留守にすることも多く、Mちゃんの世話をしていた少年も、最初は『頼られている』と喜んでいましたが、徐々にストレスをためていたのだと思います」(同前)

     新聞報道では「少年はMちゃんと母親との3人暮らしだった」とされているが、その状態に至るまでの経緯は複雑なものだったという。

    「あの家庭は本当に複雑なんです。昨年10月に母親が現在の夫と2人で大津の家に引っ越して、4月にMちゃんを施設から引き取って3人で暮らす予定でした。しかし少年が母親と一緒に暮らすことを希望したのです。4月からしばらくの間は母親、現在の夫、少年、Mちゃんの4人で生活していたようです。

     少年は小学校3年生から中学卒業まで施設で過ごし、卒業後は解体関係の仕事をしていた。母親と一緒に暮らすのは約8年ぶりだった。Mちゃんは生後8カ月から施設に預けられていたので母親と過ごすのは約5年ぶり。しかし4人で暮らし始めてすぐに、少年が『交際している女性と同棲する』と言って家を出ていってしまったんです。その後6月には、夫婦関係が悪化して夫も家を出ていきました。7月になって長男が戻ってきたため、事件が起きた当時は母親、Mちゃん、長男の3人暮らしになっていました」

     さらに知人は、こう続ける。

    「実は、母親にはMちゃんと少年以外にも2人の子供がいて、その子たちは施設に預けているとも聞いたことがあります……」

     取材班は母親に再びコンタクトをとった。すると母親は40分にわたって、取材に答えた。
    https://bunshun.jp/articles/-/47909?page=1&_gl=1*1vgmoos*_ga*dWtha3pRN3I3QUVxVFI4R0dHNUdvaHlzY0ppTWlGRG5iaURLQ0QwWkJ2anBGQ040ZURBMTBNNjhYQnc2anNxSw..

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