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- 柴田勝家
- 21/04/24 15:16:32
最後までアイドルだった レスリー・マッコーエンさんの早すぎる死
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レスリー・マッコーエンさん=ロンドン市内で2014年8月、坂井隆之撮影
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レスリー・マッコーエンさん=ロンドン市内で2014年8月、坂井隆之撮影
ベイ・シティ・ローラーズのリードボーカルを務めたレスリー・マッコーエンさんが20日、65歳で亡くなった。実は記者は2014年、ロンドン市内でマッコーエンさんをインタビューし、その後、ご家族とも交流した経験を持つ。トップアイドルとしての華やかなステージの裏側の想像を絶する人生に驚き、再出発を誓う前向きな姿に心を打たれた。早すぎる死を惜しみつつ、最後に取材した記者として、彼の実像を報告したい。【坂井隆之/経済部】
「この写真は撮らないでくれないか」。終始にこやかだったマッコーエンさんが、少し困ったような顔で記者に注意したのは、インタビューが休憩時間に入った時だった。マッコーエンさんは取材場所のホテルの外に出て、たばこをくゆらせていた。アイドルから「大人の男」になった姿を収めたくてカメラを向けた記者に、マッコーエンさんは「ファンのイメージを崩したくないから」と断った。ああ、この人は本気で表舞台に戻ろうとしているのだな、と強く印象に残った。
スポットライトの裏の想像を絶する人生
マッコーエンさんは17歳の時、スカウトされてポップグループ「ベイ・シティ・ローラーズ(BCR)」のボーカルになった。甘いマスクとメロディアスな歌声で瞬く間に若者の人気を獲得。「サタデー・ナイト」は日本でも大ヒットし、1976年に来日した際には羽田空港に1000人以上のファンが押し寄せ、武道館では失神者が相次いだことは語り草だ。
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