江戸時代には、生まれた子どもを母親が絞め殺す行為が盛んに行われた。

匿名

風魔小太郎(強い)

21/01/18 22:45:51

これを日本語で「マビキ(間引き)」と言う。そのため、江戸末期には子供の平均数が3人を超える場合が多くなかったという。それ以上、生まれてくる子供は、親が殺してしまったからだ。子供を殺す風習は、国家の税金を減らすことになるので、江戸政府は、しばしばマビキを禁止する法を敷き、この風習をなくそうとした。

江戸末期の農学者、佐藤信淵は、「出羽奥州と奥州(現在の東北地方)で毎年1万6000~1万7000人、上総(現在の千葉県)では3~4万人の赤ん坊がマビキされている」と記録を残している。

戦国時代に日本を訪れた宣教師ルイス・フロイスは、「日本の女性は、育てる余裕がないと考えると、赤ん坊の首を足で押して殺してしまう」と記録した。このマビキの伝統がどれほど強かったかと言えば、それから300年が経った20世紀に入っても日本政府は、これを根絶するために苦労をした。

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