• No.170 毛利勝永

    20/11/28 03:29:36

    第2次宗門問題の発端は、1990(平成2)年12月16日、日蓮正宗から創価学会へ「お尋ね文書」と呼ばれる書類が届いたことだった。内容は名誉会長である池田大作の発言に、日蓮正宗のトップである法主(ほっす)や日蓮正宗に対する批判が含まれていたことを指摘するものであった。創価学会の振る舞いを包括的に批判する主旨で、たとえば創価学会が集会で「歓喜の歌」をドイツ語で合唱したことを「キリスト教を容認・礼讃している」と指摘。これを皮切りに日蓮正宗との関係は急激に悪化し、1991(平成3)年11月7日には日蓮正宗から創価学会に対し「解散勧告」がなされ、同月28日には破門通告書が創価学会に届いたのだ。

     ちなみに日蓮正宗から破門された11月28日は創価学会において「魂の独立記念日」と呼ばれている。〈SGI(※創価学会インターナショナル=創価学会の海外名)の歴史において最大にして最良の出来事こそ、この“破門”通告であったのではないでしょうか。この、見方によっては不幸な出来事は、実は、最大に幸福な出来事であった、というべきなのです〉(「聖教新聞」2018年11月28日)。日蓮正宗からの破門は、むしろポジティブな出来事として認識されているようだ。

     第2次宗門問題以降、創価学会と日蓮正宗は互いを激しく批判しあう泥沼の抗争に突入する。創価学会は、破門された際に日蓮正宗の法主の地位にあり、破門の指示をしたと言われている阿部日顕を激しく批判。機関紙である「創価新報」に日顕が一人で芸者に囲まれている写真を掲載し、〈日顕が欲すは「カネ、酒、色」の堕落道〉(1992年11月4日、18日付)との見出しをつけて報道した。

     これに対して日蓮正宗は、複数人が集まった祝いの席であるにもかかわらず、その場に日顕しかなかったかのような加工がなされているとして、写真が捏造であると主張し提訴。一審では創価学会側の名誉毀損が認定され、総額400万円の損害賠償が命じられた。これに創価学会は控訴し、二審では創価学会側の捏造が認定されたものの、原告に“被害者”である日顕が名を連ねていなかったことから、一審判決の賠償命令は退ける判決が下された。原告側の大石寺は最高裁に上告したが、最終的には二審判決が確定した。

     このような抗争を繰り返すなかで、創価学会は日蓮正宗を「日顕宗」と呼び始めた。“憎き日顕”が率いる宗教、という蔑称である。2005(平成17)年に日顕が法主を退いた際もこの呼称を改めなかったどころか、2019(令和元)年9月20日に本人が亡くなった後も、しつこく「日顕宗」と呼び続けている。

     破門後の創価学会は、日蓮正宗に属していた時代の教義や慣習を次々と変更し、独自の方向性を打ち出している。たとえば2004(平成16)年には読経する経典の内容を変更し、2014(平成26)年には信仰の対象である本尊(紙や木に書かれた曼荼羅)について、日蓮正宗時代のものは拝まないことにするなど、信仰に関わる具体的な教義の改定を進めている。

     以上の3つの事件を経て、創価学会は権力への危機感を強めて政党を作り、世間からの批判を浴びて組織の人事制度を整理して政党を世俗化させ、伝統宗派からの離脱とともに本当の意味での「新興宗教」になっていった。

     創立100年までにいたるこれからの10年間で、指導者である池田大作を失う可能性は少なくないだろう。その際には過去の3大事件以上の影響が出ることは想像に難くない。100周年を迎えたときにはどのような教団になっているのだろうか――。

コメント

古トピの為、これ以上コメントできません

返信コメント

  • まだコメントがありません

広告
投稿するまえにもう一度確認

ママスタコミュニティはみんなで利用する共有の掲示板型コミュニティです。みんなが気持ちよく利用できる場にするためにご利用前には利用ルール・禁止事項をご確認いただき、投稿時には以下内容をもう一度ご確認ください。

上記すべてをご確認いただいた上で投稿してください。