日本の戦争について教えてください。

  • なんでも
    • 44
    • 島津義弘
      20/08/15 14:58:03

    祖父が硫黄島守備隊の生き残りです
    生前にそのときの手記を残しているんですが、
    島が敵の大艦隊に囲まれたとき、怖かったのではなく
    「さあ来い、敵さん」と武者震いしたそうです
    それから三日三晩、飲まず食わずで戦い続けて
    仲間たちは手足を失って蛆虫に食われながら死んだり
    脱水症状のあまり自分の尿を繰り返し飲んで発狂したり
    火炎放射器で生きたまま焼かれたり、
    とにかく悲惨な戦い
    部隊で1人だけ生き残った祖父もついに肺を撃ち抜かれて
    そのときに思ったのが、つらいとか苦しいではなく、
    「ああ、情けない。ついに全滅か」だったそうです
    でも「ただでは死なん」とで敵に切り込もうとしたら
    銃を持った敵兵に囲まれて切り込みを断念
    「アイム・ジャパニーズ・ソルジャー、シュート・ミー!」
    (俺は日本兵だ、撃ち殺せ)と武器を捨てて両手を広げたら
    それが降伏の意思と伝わったようで、殺されず捕虜になった
    その後、アメリカの収容所で過ごしているときに
    日本が無条件降伏をしたことを知り、
    そのときに思ったのも、悔しいとか悲しいではなく、
    「やるべきことはやった。日本で生きよう」
    だったそうです
    ところが帰国したら、
    故郷に残してきた妻(祖母)が空襲で避難した際に
    錆びた釘を踏んだことが原因で破傷風になり、亡くなっていた
    そのとき初めて「何だったんだ、この戦争は」と思ったそうです
    でも、幼子2人(私の母と叔父)を抱えて生きなければならず
    荷車を引いたり、貸本屋をやったりして必死に生きた
    祖父の願いは我が子を医者にすることで
    その夢は叔父が叶えました
    祖父は晩年、縁側で蜜柑の木を眺めながら
    「平和はいいなぁ」とよく呟いていました

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