- なんでも
- 慶応
- 20/01/24 13:54:31
義父があと余命数カ月と言われてます。
もしも卒業式とお葬式が、重なったら卒業式に出てあとから駆けつければいいよね?
ちなみに遠方で新幹線の距離
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義父があと余命数カ月と言われてます。
もしも卒業式とお葬式が、重なったら卒業式に出てあとから駆けつければいいよね?
ちなみに遠方で新幹線の距離
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ちなみに卒業式いつなの?
申し訳ないとは思うけど子供優先。
まだ死んでもないのに??
あんた、最低な嫁だね。
葬式の日程をずらすことも出来るけど、
危篤に駆けつけるか否かならともかく、お葬式ならむしろあちらも考えて日にち決めると思うよ。
>>1
3月だよ
うん。
旦那だけ先にお葬式へ行ってもらう。
>>3
だからもしも、って書いてるけど?
大丈夫?
人が死ぬのは仕方ない事でしょ
>>6余命宣告されて半年以上生きた人もいるんだよ。まだ死んでもないのに本当失礼なやつ。
>>5
そうなんだ、なら安心
旦那さんはお葬式、子供と主さんは卒業式。謝恩会とかは出ずに即かけつける。
卒業式!少しでも長生きできたらいいね。4月には入学式もあるもんね。
>>9
だから何?もしもの話なんだけど?
本人に話したわけでもないのに何が失礼かわからないわ
>>8お前が大丈夫かよ?w
義家関係なら子供優先。
私側でも人によっては子供優先。
卒業式だね。遠方だしなんとかなるよ
申し訳ないけど私も卒業式かな。
入学式も危ないよね。
重ならないと良いですね。
>>12
そうなんです。
子供二人が卒業と入学で今年は忙しくて。。
まぁでも出来ればそわそわせず当日を迎えたくはあるよね。
長生きして欲しいとかそういう感情とはまた別で。
うん、卒業式に出て終わり次第みんなで駆けつけたらいいよ。
被らないよう調節してもらえるのが1番だけどね。
>>11 これだね
>>14
頭悪そう
義父なら参加しない。どうでもいいから。
実父なら卒業式のあと参加かなー。
卒業式前かあとに死ぬように薬とか調節して貰えないの?
>>22頭は臭い
>>24ナイスアイデア
『もしも』は日付の被りの事言ってるよね。
そのあたりに亡くなる事前提で話してるじゃん。失礼だよ。
否定的なレスもあるけど、実際宣告されたらそうも言ってられないよ。いろんなケースを考えて段取りしておかないとそれこそスムーズに動けない。
私も実父で同じ経験ある。いつでも帰省出来るように常に喪服とお泊まりのセット準備してたよ。運良く一年近く生きてくれたから、その間に荷物の衣替えも何回かした。行事が近づく度に、もしこの日に連絡来たら、ってシミュレーションしてた。
数ヶ月の余命宣告ってそういうことだもん。
卒業式優先で。
実際の医療において、余命宣告はどのようにされているでしょうか? 実は、余命宣告にはこうしなさいという明確なルールがあるわけではなく、医師が行っている方法も様々です。
中には、誤解を生むため好ましくないという考えから、そもそも余命宣告しない医師もいます。それに対して、治療の厳しさを理解してもらうために、必ず伝えている医師もいたりします。また、8ヵ月などの1つの数字をいう医師もいれば、2~3年などとかなり幅をもたせて伝える医師もいます。
医師側が告知する目的は、患者側に情報を提供するのみでなく、患者側が期待していた予後よりも早くに亡くなり、治療が悪かったのではとトラブルになるのを防ぎたいという意図もあります。
医師側の問題点としては、全ての医師が完全に患者側の余命に対する理解の程度や、受け取り方を把握していないことで、時に余命宣告することで医師患者関係が悪くなるケースも実際に見受けられます。
実際の医療において、余命宣告はどのようにされているでしょうか? 実は、余命宣告にはこうしなさいという明確なルールがあるわけではなく、医師が行っている方法も様々です。
中には、誤解を生むため好ましくないという考えから、そもそも余命宣告しない医師もいます。それに対して、治療の厳しさを理解してもらうために、必ず伝えている医師もいたりします。また、8ヵ月などの1つの数字をいう医師もいれば、2~3年などとかなり幅をもたせて伝える医師もいます。
医師側が告知する目的は、患者側に情報を提供するのみでなく、患者側が期待していた予後よりも早くに亡くなり、治療が悪かったのではとトラブルになるのを防ぎたいという意図もあります。
医師側の問題点としては、全ての医師が完全に患者側の余命に対する理解の程度や、受け取り方を把握していないことで、時に余命宣告することで医師患者関係が悪くなるケースも実際に見受けられます。
>>28実父と義父なら違うでしょ。
実際の医療において、余命宣告はどのようにされているでしょうか? 実は、余命宣告にはこうしなさいという明確なルールがあるわけではなく、医師が行っている方法も様々です。
中には、誤解を生むため好ましくないという考えから、そもそも余命宣告しない医師もいます。それに対して、治療の厳しさを理解してもらうために、必ず伝えている医師もいたりします。また、8ヵ月などの1つの数字をいう医師もいれば、2~3年などとかなり幅をもたせて伝える医師もいます。
医師側が告知する目的は、患者側に情報を提供するのみでなく、患者側が期待していた予後よりも早くに亡くなり、治療が悪かったのではとトラブルになるのを防ぎたいという意図もあります。
医師側の問題点としては、全ての医師が完全に患者側の余命に対する理解の程度や、受け取り方を把握していないことで、時に余命宣告することで医師患者関係が悪くなるケースも実際に見受けられます。
実際の医療において、余命宣告はどのようにされているでしょうか? 実は、余命宣告にはこうしなさいという明確なルールがあるわけではなく、医師が行っている方法も様々です。
中には、誤解を生むため好ましくないという考えから、そもそも余命宣告しない医師もいます。それに対して、治療の厳しさを理解してもらうために、必ず伝えている医師もいたりします。また、8ヵ月などの1つの数字をいう医師もいれば、2~3年などとかなり幅をもたせて伝える医師もいます。
医師側が告知する目的は、患者側に情報を提供するのみでなく、患者側が期待していた予後よりも早くに亡くなり、治療が悪かったのではとトラブルになるのを防ぎたいという意図もあります。
医師側の問題点としては、全ての医師が完全に患者側の余命に対する理解の程度や、受け取り方を把握していないことで、時に余命宣告することで医師患者関係が悪くなるケースも実際に見受けられます。
実際の医療において、余命宣告はどのようにされているでしょうか? 実は、余命宣告にはこうしなさいという明確なルールがあるわけではなく、医師が行っている方法も様々です。
中には、誤解を生むため好ましくないという考えから、そもそも余命宣告しない医師もいます。それに対して、治療の厳しさを理解してもらうために、必ず伝えている医師もいたりします。また、8ヵ月などの1つの数字をいう医師もいれば、2~3年などとかなり幅をもたせて伝える医師もいます。
医師側が告知する目的は、患者側に情報を提供するのみでなく、患者側が期待していた予後よりも早くに亡くなり、治療が悪かったのではとトラブルになるのを防ぎたいという意図もあります。
医師側の問題点としては、全ての医師が完全に患者側の余命に対する理解の程度や、受け取り方を把握していないことで、時に余命宣告することで医師患者関係が悪くなるケースも実際に見受けられます。
>>35長々したやつ
何回載せてるねん!
実際の医療において、余命宣告はどのようにされているでしょうか? 実は、余命宣告にはこうしなさいという明確なルールがあるわけではなく、医師が行っている方法も様々です。
中には、誤解を生むため好ましくないという考えから、そもそも余命宣告しない医師もいます。それに対して、治療の厳しさを理解してもらうために、必ず伝えている医師もいたりします。また、8ヵ月などの1つの数字をいう医師もいれば、2~3年などとかなり幅をもたせて伝える医師もいます。
医師側が告知する目的は、患者側に情報を提供するのみでなく、患者側が期待していた予後よりも早くに亡くなり、治療が悪かったのではとトラブルになるのを防ぎたいという意図もあります。
医師側の問題点としては、全ての医師が完全に患者側の余命に対する理解の程度や、受け取り方を把握していないことで、時に余命宣告することで医師患者関係が悪くなるケースも実際に見受けられます実際の医療において、余命宣告はどのようにされているでしょうか? 実は、余命宣告にはこうしなさいという明確なルールがあるわけではなく、医師が行っている方法も様々です。
中には、誤解を生むため好ましくないという考えから、そもそも余命宣告しない医師もいます。それに対して、治療の厳しさを理解してもらうために、必ず伝えている医師もいたりします。また、8ヵ月などの1つの数字をいう医師もいれば、2~3年などとかなり幅をもたせて伝える医師もいます。
医師側が告知する目的は、患者側に情報を提供するのみでなく、患者側が期待していた予後よりも早くに亡くなり、治療が悪かったのではとトラブルになるのを防ぎたいという意図もあります。
医師側の問題点としては、全ての医師が完全に患者側の余命に対する理解の程度や、受け取り方を把握していないことで、時に余命宣告することで医師患者関係が悪くなるケースも実際に見受けられます。
義父なら旦那だけ先に行ってもらう
いくらなんでも卒業式行かないなんて子どもが不憫
実際の医療において、余命宣告はどのようにされているでしょうか? 実は、余命宣告にはこうしなさいという明確なルールがあるわけではなく、医師が行っている方法も様々です。
中には、誤解を生むため好ましくないという考えから、そもそも余命宣告しない医師もいます。それに対して、治療の厳しさを理解してもらうために、必ず伝えている医師もいたりします。また、8ヵ月などの1つの数字をいう医師もいれば、2~3年などとかなり幅をもたせて伝える医師もいます。
医師側が告知する目的は、患者側に情報を提供するのみでなく、患者側が期待していた予後よりも早くに亡くなり、治療が悪かったのではとトラブルになるのを防ぎたいという意図もあります。
医師側の問題点としては、全ての医師が完全に患者側の余命に対する理解の程度や、受け取り方を把握していないことで、時に余命宣告することで医師患者関係が悪くなるケースも実際に見受けられます。
実際の医療において、余命宣告はどのようにされているでしょうか? 実は、余命宣告にはこうしなさいという明確なルールがあるわけではなく、医師が行っている方法も様々です。
中には、誤解を生むため好ましくないという考えから、そもそも余命宣告しない医師もいます。それに対して、治療の厳しさを理解してもらうために、必ず伝えている医師もいたりします。また、8ヵ月などの1つの数字をいう医師もいれば、2~3年などとかなり幅をもたせて伝える医師もいます。
医師側が告知する目的は、患者側に情報を提供するのみでなく、患者側が期待していた予後よりも早くに亡くなり、治療が悪かったのではとトラブルになるのを防ぎたいという意図もあります。
医師側の問題点としては、全ての医師が完全に患者側の余命に対する理解の程度や、受け取り方を把握していないことで、時に余命宣告することで医師患者関係が悪くなるケースも実際に見受けられます。
実際の医療において、余命宣告はどのようにされているでしょうか? 実は、余命宣告にはこうしなさいという明確なルールがあるわけではなく、医師が行っている方法も様々です。
中には、誤解を生むため好ましくないという考えから、そもそも余命宣告しない医師もいます。それに対して、治療の厳しさを理解してもらうために、必ず伝えている医師もいたりします。また、8ヵ月などの1つの数字をいう医師もいれば、2~3年などとかなり幅をもたせて伝える医師もいます。
医師側が告知する目的は、患者側に情報を提供するのみでなく、患者側が期待していた予後よりも早くに亡くなり、治療が悪かったのではとトラブルになるのを防ぎたいという意図もあります。
医師側の問題点としては、全ての医師が完全に患者側の余命に対する理解の程度や、受け取り方を把握していないことで、時に余命宣告することで医師患者関係が悪くなるケースも実際に見受けられます。
実際の医療において、余命宣告はどのようにされているでしょうか? 実は、余命宣告にはこうしなさいという明確なルールがあるわけではなく、医師が行っている方法も様々です。
中には、誤解を生むため好ましくないという考えから、そもそも余命宣告しない医師もいます。それに対して、治療の厳しさを理解してもらうために、必ず伝えている医師もいたりします。また、8ヵ月などの1つの数字をいう医師もいれば、2~3年などとかなり幅をもたせて伝える医師もいます。
医師側が告知する目的は、患者側に情報を提供するのみでなく、患者側が期待していた予後よりも早くに亡くなり、治療が悪かったのではとトラブルになるのを防ぎたいという意図もあります。
医師側の問題点としては、全ての医師が完全に患者側の余命に対する理解の程度や、受け取り方を把握していないことで、時に余命宣告することで医師患者関係が悪くなるケースも実際に見受けられます。
>>38え、旦那も卒業式参加でしょ?子供より自分の親とる父親なんか最低
それでいいと思う。卒業式出ずに来られても義父は喜ばないと思う。
末期がんと診断がついて、患者にもそれが伝えられれば(告知)、医師が患者やその親族から問われるのは、決まって「あとどれくらい生きられるのか」である。
 患者から問われなくても、医師がその期日を宣告する場合もある。
 しかし本当は、人の余命など誰にもわからないのだ。
 計算通りにいかないのが生命の不思議なところなのである。
 その不思議さに目を向けないで、余命をいうなど医師のおごり以外なにものでもない。
 ケガや病気の状態とその回復の見込みについては、医師はコメントできよう。
 けれども、いのちの長さについて、裁判官のように裁定を下すことなどできはしないのだ。
 医師を長年もやっていれば、死んでもおかしくないという状態からの奇跡的な回復例は、だれでも何度か体験しているはずだ。
 自分の体験でなくとも見聞きはしている。
 特に宗教や神秘的主義的な視点を持たなくても、それを教科書以上に自分の体験として学び取らなくては、なんのために医療という、人のいのちの最前線にたっているのかわからない。
 病気には医師物差しがあったとしても、いのちにあてはめられる物差しなどないのである。
 まったく人のいのちには常識では考えられない回復がよくある。
 それがいのちの深さというものだ。
 医学書には、全血液量の3分の1が出血すると人は死ぬとよく書かれている。
 ところが4分の1の出血でショック死する人がいれば、半分以上出血しても死なない人もいる。
 教科書通り、呼吸停止が3分で脳死する人がいるかと思えば、15分経過しても、脳に何の障害も残さず回復する人がいるのが現実である。
 いわゆる末期がんでも治る人がいる。
 生還率がゼロでない限り、少しでも生還できる可能性があれば、平均値は出せたとしても、一人ひとりのいのちに対して余命をはかることなどできはしないだろう。
 まして、末期がんは奇跡と呼べないほどの確率で治るのだ。
 奇跡というには、せめて何万人に1人の低い確率でなければなるまい。
 病名は伝えなければならない。
 だが、余命を言うのはがんへの大きな抵抗力を生み、実際にがんを克服する力を発生させる力を、そしてまた生きる希望まで摘んでしまうことにもなる。
 暗示効果という点でも、医師の言葉は大きな影響力があるので、医師の言った通りにいのちのバルブが閉じられてしまう可能性が生じる。
末期がんと診断がついて、患者にもそれが伝えられれば(告知)、医師が患者やその親族から問われるのは、決まって「あとどれくらい生きられるのか」である。
 患者から問われなくても、医師がその期日を宣告する場合もある。
 しかし本当は、人の余命など誰にもわからないのだ。
 計算通りにいかないのが生命の不思議なところなのである。
 その不思議さに目を向けないで、余命をいうなど医師のおごり以外なにものでもない。
 ケガや病気の状態とその回復の見込みについては、医師はコメントできよう。
 けれども、いのちの長さについて、裁判官のように裁定を下すことなどできはしないのだ。
 医師を長年もやっていれば、死んでもおかしくないという状態からの奇跡的な回復例は、だれでも何度か体験しているはずだ。
 自分の体験でなくとも見聞きはしている。
 特に宗教や神秘的主義的な視点を持たなくても、それを教科書以上に自分の体験として学び取らなくては、なんのために医療という、人のいのちの最前線にたっているのかわからない。
 病気には医師物差しがあったとしても、いのちにあてはめられる物差しなどないのである。
 まったく人のいのちには常識では考えられない回復がよくある。
 それがいのちの深さというものだ。
 医学書には、全血液量の3分の1が出血すると人は死ぬとよく書かれている。
 ところが4分の1の出血でショック死する人がいれば、半分以上出血しても死なない人もいる。
 教科書通り、呼吸停止が3分で脳死する人がいるかと思えば、15分経過しても、脳に何の障害も残さず回復する人がいるのが現実である。
 いわゆる末期がんでも治る人がいる。
 生還率がゼロでない限り、少しでも生還できる可能性があれば、平均値は出せたとしても、一人ひとりのいのちに対して余命をはかることなどできはしないだろう。
 まして、末期がんは奇跡と呼べないほどの確率で治るのだ。
 奇跡というには、せめて何万人に1人の低い確率でなければなるまい。
 病名は伝えなければならない。
 だが、余命を言うのはがんへの大きな抵抗力を生み、実際にがんを克服する力を発生させる力を、そしてまた生きる希望まで摘んでしまうことにもなる。
 暗示効果という点でも、医師の言葉は大きな影響力があるので、医師の言った通りにいのちのバルブが閉じられてしまう可能性が生じる。
末期がんと診断がついて、患者にもそれが伝えられれば(告知)、医師が患者やその親族から問われるのは、決まって「あとどれくらい生きられるのか」である。
 患者から問われなくても、医師がその期日を宣告する場合もある。
 しかし本当は、人の余命など誰にもわからないのだ。
 計算通りにいかないのが生命の不思議なところなのである。
 その不思議さに目を向けないで、余命をいうなど医師のおごり以外なにものでもない。
 ケガや病気の状態とその回復の見込みについては、医師はコメントできよう。
 けれども、いのちの長さについて、裁判官のように裁定を下すことなどできはしないのだ。
 医師を長年もやっていれば、死んでもおかしくないという状態からの奇跡的な回復例は、だれでも何度か体験しているはずだ。
 自分の体験でなくとも見聞きはしている。
 特に宗教や神秘的主義的な視点を持たなくても、それを教科書以上に自分の体験として学び取らなくては、なんのために医療という、人のいのちの最前線にたっているのかわからない。
 病気には医師物差しがあったとしても、いのちにあてはめられる物差しなどないのである。
 まったく人のいのちには常識では考えられない回復がよくある。
 それがいのちの深さというものだ。
 医学書には、全血液量の3分の1が出血すると人は死ぬとよく書かれている。
 ところが4分の1の出血でショック死する人がいれば、半分以上出血しても死なない人もいる。
 教科書通り、呼吸停止が3分で脳死する人がいるかと思えば、15分経過しても、脳に何の障害も残さず回復する人がいるのが現実である。
 いわゆる末期がんでも治る人がいる。
 生還率がゼロでない限り、少しでも生還できる可能性があれば、平均値は出せたとしても、一人ひとりのいのちに対して余命をはかることなどできはしないだろう。
 まして、末期がんは奇跡と呼べないほどの確率で治るのだ。
 奇跡というには、せめて何万人に1人の低い確率でなければなるまい。
 病名は伝えなければならない。
 だが、余命を言うのはがんへの大きな抵抗力を生み、実際にがんを克服する力を発生させる力を、そしてまた生きる希望まで摘んでしまうことにもなる。
 暗示効果という点でも、医師の言葉は大きな影響力があるので、医師の言った通りにいのちのバルブが閉じられてしまう可能性が生じる。
私なら葬式優先にする。
すごくお世話になってるし子供もおじいちゃんが大好きだから、きっと子供も葬式に行くって言うと思う。
まぁ理由は色々だからそれでいいならいいんじゃない?
>>43だよねぇ。死んだ人よりこれからの若者の行事優先だよね。
失礼とか言ってる人いるけどさ、でもその「もしも」の時のことを想定しておいて家族で話し合っておかないといけないんだよ。
うちも義父が余命宣告受けた時、義妹の子供の修学旅行時期と重なりもしもの時はどうするかを家族、学校と話し合ってた。
No.-
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富士山