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- 安文
- 19/04/26 14:30:21
JR福知山線脱線事故で重傷を負った兵庫県伊丹市職員の山下亮輔さん(32)は25日、事故現場の「祈りの杜(もり)」で開かれた追悼慰霊式に参列した。同じ電車に乗っていた中学時代の親友は18歳で逝った。「あなたの分までしっかり生きていく」。そう友に誓った。
14年前の4月25日。近畿大に入学したばかりだった。マンションに突っ込んだ1両目に乗っており、発生18時間後の26日未明に救出された。自分の後に生存していた人は1人だけだった。
高校時代はラグビー部の副キャプテン。父親と同じ消防士を目指していたが、事故によるクラッシュ症候群で両足の筋肉が壊死(えし)して諦めた。リハビリの苦痛と将来への不安にさいなまれた。担当の看護師に気持ちを吐き出すうちに「事故がなかったことにはならない。これからを生きよう」と思えるようになった。
病床で中学時代の親友が事故で亡くなったと知った。別々の高校に進んで以来会っておらず、同じ電車に乗っていたことを知らなかった。入院中は自分のリハビリで精いっぱいだったが、事故から1年後に復学して日常が戻ると彼の姿がいつも心に浮かんだ。「自分は生きているが、彼はいない。不満を口にせず彼の分まで頑張ろう」。そう思った。
志したのは「人の役に立つ仕事」。2010年に大学を卒業して伊丹市役所に入り、障害福祉課を経て介護保険課で入庁10年目を迎えた。脱線事故の被害者とは知らない同僚もいる。今もつえは手放せず、昨年だけで3度手術した。冬に左足の小指の付け根、夏に左足の膝下を2度。夏は初めて2カ月休み、14年前の事故当時のように病院のベッドの上で天井を見上げた。ただ、苦しかった頃を思い浮かべはしなかった。「落ち込んでも仕方がない。今できることを探してちゃんとやるだけ」。自分は多くの人に助けられて生かされている。何より後遺症を負って初めて、世の中には支えを必要とする人がたくさんいることを知った。秋に職場復帰し、年明けからは改元に備えて公文書を整えたりと忙しい日常を送る。「事故にとらわれることを否定する自分であり続けたい」と思う。それでも25日だけは毎年、あの日を振り返る。「また1年、前を向いて歩く」。明日から再び、誰かのために黙々と仕事をこなす日々が始まる。
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