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- 19/03/20 15:41:28
「事件さえなければ息子は今年、20歳になるはずでした」。10年前、埼玉県熊谷市で小学4年生の小関孝徳君=当時(10)=が車にはねられて命を落とした。
犯人はまだ捕まっておらず、自動車運転過失致死罪(当時)の公訴時効が9月30日に迫る。一人息子を失った母親は「真実を知りたい」と事件解決のため行動してきた。
新たにブログも開設し、情報提供を求めている。(共同通信=桂田さくら)
2009年9月30日午後6時50分ごろ、孝徳君は習字教室から自転車で帰る途中、熊谷市本石の市道で車にはねられて亡くなった。
仕事から帰宅した母親の代里子さんは、孝徳君の自転車がないことに気づき、携帯電話に入っていた不在着信に折り返した。「事故がありました。病院に向かってください。ただし、1人では来ないでください」。
電話の相手が警察だったのか、病院だったのかは覚えていない。そこからの記憶は曖昧だ。
孝徳君はサッカーが大好きだった。3年生からはチームに加入し、弱音を吐かず練習に励んだ。
やりたがる子が少なかったポジションに名乗りを上げ、代里子さんを驚かせたこともあった。責任感が強く、優しい子だった。
父親は孝徳君が幼い頃に病気で他界した。孝徳君と2人で支え合ってきた代里子さんは、事件後しばらく、ショックで家を出られなかった。
「孝徳を失った現実を突きつけられるのが怖くて、何も考えられなかった」
3週間ほどたった頃、「物証が乏しく捜査は難航」という報道に目を疑った。現場は土地勘のある人間しか使わないはずの生活道路。
犯人はすぐに捕まると信じていた。居ても立ってもいられず、メモ帳を手に現場に立った。
同級生の母親が「どうしたの。手伝うから何でも言って」と声をかけてくれた。小学校や孝徳君が所属していたサッカーチームの母親ら約30人が協力し、付近の16カ所を通る車のナンバーを一覧にまとめ、警察に提供した。
今も命日に続けており、これまでに集めたナンバーの数は約9万6千台分に上る。捜査の助けになれば、という一心だった。
各地点のナンバーを地図に書き起こして犯人や目撃者が通ったルートを推測し、情報を求めるチラシを一軒一軒配った。
群馬ナンバーの車が多いことも分かり、ブラジル人が多く住む隣接の群馬県大泉町ではポルトガル語のチラシを配った。しかし解決には結びつかず、16年に道交法違反(ひき逃げ)罪の時効が成立した。
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