• No.133 匿名

    18/04/14 09:39:30

    現実はこうらしい


    実話 火垂るの墓 野坂氏の体験とは‥

    ここからは作者・野坂氏のストーリーを紹介したいと思います。

    幼少期、母と死別し神戸で貿易商を営む叔母夫婦に引き取られ養子になった野坂氏には妹が二人いた。(妹も養子だったため血の繋がりはない)

    しかし、1945年6月5日の神戸大空襲により義父が亡くなり、14歳だった野坂氏は下の妹・恵子(1歳6ヶ月)と西宮の親戚の家に身を寄せた。(上の妹は病気で亡くなった)

    やがて、野坂氏は同じく親戚の家に住んでいた2歳年上の京子に初めての恋をし夢中になっていく。

    親戚の家では、食料不足はあったものの、叔母からはひどい扱いを受けることなく過ごしていた。

    野坂氏は、幼い恵子のために、蚊帳の中に蛍を放ってあげたり、夜中におぶって夜風に当たらせてあげたり、発疹とシラミで侵された肌を癒してあげるために水浴びをさせたりしたこともあった。

    しかし、まだ14歳だった野坂氏は、幼い妹の面倒をみることが次第に疎ましく感じ始め、泣き出す恵子を叩いて泣き止ませ脳震盪を起こさせてしまったこともあった。

    その後、神戸から福井へと疎開し、益々食料事情が厳しくなると、恵子にろくに食べ物をあげないこともあった。

    おかゆをあげる時も恵子には重湯の部分をあげ、自身が食べる時は皿の底からすくって実を食べていた。

    恵子の分の食料も自分一人で食べてしまうこともあり、日に日に恵子は痩せ細り、やがて野坂氏の腕の中で亡くなった。

    野坂氏が自ら恵子を荼毘に付し、その遺骨をドロップの缶に入れたのだった。




    小説「火垂るの墓」は野坂氏の妹・恵子への贖罪

    「火垂るの墓」では、清太が懸命に妹・節子の面倒を見る姿に心打たれますが、実話では妹・恵子のことを疎ましく思い、食事を与えないこともあり、栄養失調が進んで恵子は亡くなってしまったという衝撃のストーリーでした。

    しかし、まだ14歳だった野坂氏。戦後の混乱の中で、自分のことだけでも精一杯の中、1歳6ヶ月で意思疎通も難しい恵子の親代わりになるのは難しかったのかもしれません。

    映画の中で清太が節子にしてあげたように、野坂氏も恵子に蛍を見せたり、体を海水で癒やしてあげたりと優しい一面ものぞかせています。

    しかし、そういった良い面でなく、自身がいい兄ではなかったことも自伝で赤裸々に語っています。

    「火垂るの墓」は、十分に愛情を注いで面倒を見てあげられず亡くなってしまった恵子への贖罪でもあり、こういった実話があったからこそ、小説の中では野坂氏が恵子にしてあげたかった最大限の思いが込められているようです。

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