35歳の野原しんのすけは還暦のひろし・みさえと「近居」するのか

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    • ラッコ
      18/03/21 14:57:31

    「上京」と「恋愛結婚」の戦後史

     だが、なぜ近居が新たな現象として注目されているのだろうか。ここでは2つの視角からみてみたい。まず、「なぜ別居ではないのか」という疑問から考えてみよう。

     そもそも親が地方を離れず、子どもが都会に出ているのなら、近居という選択肢は生まれない。近居が普及した背景には戦後日本の人口移動があると考えられる。

     都市と地方の風土のちがいというのは、当たり前すぎるほど当たり前なのだけれど、そのくせ戦後日本社会などというと、なぜか均一な印象が前提とされてしまうのは不思議なことだ。そこで初めにどれだけ戦後日本社会において都市と地方の差が大きな影響を持っていたのか、結婚を例にみてみたいと思う。

     社会学の専門書から、インターネットの記事まで、「日本では1960年代から70年代にかけて見合い結婚から恋愛結婚への変化が生じた」と書いてある。グラフをみると確かに急激な変化である。

     ところが、データを再検討して、市街地と農村・漁村でそれぞれどうだったかを調べてみると、まったく違う様子が見えてくる。それが以下の図である。

     これをみると一目瞭然。市街地ではとっくの昔、1950年代後半にはすでに恋愛結婚の方が一般的になっているのである(実は「恋愛」とか「見合い」とかが具体的に何を指しているのかという別の問題もあるのだが、それはまた別の機会に譲ろう)。

     60年代から70年代にかけて見合い結婚から恋愛結婚へという急激な変化が生じたのは、地方に都会の恋愛結婚の文化が波及したからであり、また地方の人口が大量に都市に流入したからなのである。

     こうしてみると、戦後日本における都市と地方という問題がいかに重要かがわかってくるだろう。

     戦後、集団就職、さらには大学進学率の上昇などで、地方から多くの若者たちが大都市圏に惹きつけられた。彼/彼女たちの中には地元に帰るものも少なくなかったが、都会に留まったものも多かった。「大都市移民1世」とでもいおうか。

     彼/彼女たちは結婚して、郊外の新興住宅地に戸建てや団地の家を購入したりして、地元の親とは別居して生活することになった。
    >>2

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