千葉の一家殺害事件て酷いね へのコメント(No.2

  • No.2 汁はちくわで吸う

    17/12/21 01:02:27

    18歳の時(平成3年3月)千葉県船橋市内で一人暮らしを始める。同年10月25日、市川市内のフィリピンパブでホステスをしていたエリザベスという女性とフィリピンで結婚するが、彼女は3ヶ月足らずで母国へ帰ってしまった。不満を溜め込んだ関はフィリピンパブで働く女性を店には無断で連れ出し、アパートへ無理に泊めた。これに怒った経営者がヤクザに依頼し、関は200万円の慰謝料を請求される。
    市川一家4人殺人事件[編集]
    市川一家4人殺人事件は、1992年3月5日に千葉県市川市で発生した当時19歳の関光彦による殺人事件である。
    元々の事件の発端は、2月6日、光彦が市川市のフィリピンパブの顔なじみのホステスを連れ出し、自宅に2日間監禁したことに始まる。翌々日の8日、2人のホステスは泣きながら店に戻り、光彦に監禁されたことを経営者に報告する。怒ったパブの経営者は、知り合いのヤクザに光彦の落とし前をつけてくれるように頼んだ。この日から光彦はヤクザに追われることとなる。 
    11日、光彦はイライラしての行動か、東京都中野区の路上を歩いていた24歳の女性を襲い、鼻の骨を折るなどの怪我を追わせ、車に連れ込んで自宅に監禁し、強姦する。そしてその翌日の12日。後に自分の家族4人を惨殺されてしまう、柳沢功二さんの長女(15歳)はこの日、関光彦に出会ってしまう。
    光彦は買い物帰りの少女の自転車にわざと車をぶつけ、車で病院に連れて行った後、自宅に送ってあげるふりをして自分の家に少女を連れ込み、監禁して強姦した。その際、少女の生徒手帳から名前と住所を書き写し、誰にもしゃべるな、と脅しをかけた。くしくもこの日の夜、光彦は暴力団組長から呼び出しをくらい、先の、ホステスを監禁した件で売上損失分と慰謝料として200万円払うように強制された。もちろん断ることも出来ないし、そのような金を持っているはずもない。
    月は変わって3月5日。連日ヤクザに激しい追い込みをかけられていた光彦は、すでに家に帰ることも出来なくなっていた。ここで光彦は、先日住所を書き留めておいた少女の家に押し入り、金を強奪することを思いつく。
    平成4年3月5日午後5時ごろ。光彦はその柳沢功二さん一家が住むマンション「行徳南スカイハイツC棟」8階に押し入る。その時マンションにいたのは少女の祖母・柳沢順子さん(83)一人だけであった。光彦は通帳を出すように迫ったが、拒否されたため祖母の首を電気コードで絞めて殺害した。光彦はそのままマンションに居座り、他の家族が帰って来るのを待った。そして約2時間後、少女(15)と母親・照夜さん(36)が一緒に帰ってきた。
    包丁をつきつけ「騒ぐと殺す」と脅し、母・照夜さんの首を後ろからつかみ、「黙ってうつぶせになれ」とうつぶせを強要。照夜さんが背中を見せたところを容赦なく包丁でメッタ刺しにして殺害した。光彦は床に流れた血を少女に掃除するように命じる。恐怖で凍りつきながら少女は黙々と掃除を行った。間もなく4歳の妹・宇海ちゃんが保母さんに連れられて帰ってきた。光彦はこの時点で2人殺しておきながら、少女に命じて食事を作らせ、光彦と少女と宇海ちゃんの3人で夕食を食べた。
    間もなく宇海ちゃんは「おばあちゃんが寝てるから私も、もう寝る。」と言っておばあちゃんの部屋に入った。宇海ちゃんは、おばあちゃんが殺されているとも気づかず、遺体のそばで眠りについた。通帳と印鑑の場所は父親しか分からない。光彦は父親の功二さんが帰ってくるのを待つ間、少女に襲いかかり、強姦を始めた。
    間もなくして父親の功二さん(42)が帰ってきた。いつもより早い帰宅だった。強姦の途中ではあったが、光彦は包丁を持って功二さんを待ち伏せ、いきなり左肩の辺りに包丁を突き刺した。悲鳴を上げて功二さんが床に倒れる。

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