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- しぐれ焼き
- 17/05/18 20:19:49
渋谷の道玄坂の通称「風俗ビル」で、生後3ヵ月の赤ちゃんが遺体となって見つかった。
2013年の11月1日のことである。
この赤ちゃんを死へと追いやったのは、風俗業界で働く3人の10代の女たちだ。だが、その3人は誰ひとりとして赤ちゃんの死の責任を問われなかった。
今回の事件を例に、「親になりきれない親」が事件を起こすまでの経緯を書きたい。(事件の内容は、『「鬼畜」の家』ならびに『新潮45』2017年5月号が詳しい)
梅毒に感染したまま出産
その赤ちゃんの母親は、保奈美(仮名、事件当時19歳)といった。長野県の生まれで、塾の教師である父親と、元銀行員の母親との間に生まれた長女だ。
保奈美は幼い頃から両親に厳しく育てられてきた。母親の家族が銀行や県庁に勤めていたこともあり、同じような道に進んでほしかったのだろう。小学校時代には様々な習い事をさせられたという。
だが、保奈美はそうした親の大きな期待に応えることができなかった。中学まではブラスバンドでがんばっていたが、高校に上がってからは不良仲間とつるむようになり、度々両親ともぶつかった。そして高校を卒業後は、家出をして東京へ出て水商売をはじめる。
保奈美の妊娠がわかったのは、1年後のことだ。結婚するつもりもなく、かといって育てるつもりもない。どうしようか悩んでいるうちに臨月にさしかかり、中絶することもできなくなった。
追い詰められた彼女は子供を産んで特別養子に出すことに決め、特別養子縁組の支援団体Babyぽけっとに連絡。そのまま茨城県土浦市にある同団体の寮へ入った。病院の検査で彼女は梅毒に感染していることがわかったが、治療する時間もなく、そのまま出産することになった。
病院でお産を終え、生まれたのは娘の唯乃ちゃんだった。同団体の代表の岡田卓子は特別養子縁組に必要な書類を用意し、保奈美に署名をさせた。だが、2枚目にさしかかった時、彼女はぴたりとペンを握る手を止めた。様子がおかしい。
「どうしたの? 赤ちゃんを育てたいの?」と岡田は尋ねた。
保奈美はうなずいた。赤ちゃんを産んで顔を見た途端に母性本能が芽生え、育てたいと考え直す女性はいる。岡田は、実家に帰ってきちんと家族のサポートを受けながら育児をするという約束をした上で、保奈美が唯乃ちゃんを育てることを認めた。
しかし、約束は果たされなかった。
長野の実家に戻ってから、わずか1ヵ月後、保奈美は両親と仲違いして、唯乃ちゃんを抱いて再び家出をしたのだ。向かった先は、渋谷の道玄坂にあった「風俗ビル」だった。
ここには、保奈美のヒモである剛(仮名)という男が暮らしていた。JKリフレ店の開業に関わっていて、同じ部屋にJKリフレのホステスとして働く予定の17歳の少女2人を住まわせ、危険ドラッグをやっていたのだ
保奈美は剛と話し合い、唯乃ちゃんを17歳の少女2人に預け、自分は風俗店で働いて生活費を稼ぐことにした。その結果、唯乃ちゃんは危険ドラッグとタバコの煙が充満する男女の部屋に置き去りにされることになった。
少女2人は、唯乃ちゃんを押し付けられる形で世話をすることになった。だが、生後1ヵ月の赤ん坊の世話は簡単ではない。1日に何度もオムツを替え、ミルクを与え、夜は数時間おきに泣くのをなだめなければならない。育児経験のない彼女たちが危険ドラッグをやりながら、母親を演じられるはずもなかった。
少女2人は育児が面倒になり、ストレス発散のため唯乃ちゃんに対する虐待をはじめた。危険ドラッグの勢いも加わって、それは凄惨なものとなった。
続く
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ああああ