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17/04/11 11:58:01
【浅田真央引退表明】 悲運の女王 伝説に幕 真央ちゃん、国民的スター 2017.4.11 01:08 引退を表明したフィギュアスケート元世界女王、浅田真央(26)は、超一流のアスリートであると同時に「真央ちゃん」と親しみを込めて呼ばれる国民的なスターでもあった。「お疲れさまと言ってあげたい」。14歳で世界ジュニア選手権を制し、数々のタイトルを手にした天才少女は、多くのファンに惜しまれながらスケートシューズを脱いだ。 「百点満点の出来。最初は緊張があったけど、トリプルアクセルの前にはなくなっていた。アクセルを決めたかったのでうれしい」 2005年、カナダ・キッチナーで開かれた世界ジュニア選手権で、浅田は当時、男子でも難しいとされた3回転半ジャンプ「トリプルアクセル」を決めて優勝した。翌06年にはシニアのビッグタイトル「グランプリファイナル」、08年には世界選手権で初優勝し一躍、世界のトップの座に。 ジャンプだけでなく、華麗なステップや美しいスピンなどで、今に続く日本フィギュア全盛期の先駆けとなった。一方、愛らしい表情や真摯な語り口で親しまれ、テレビのCMなどにも多く出演した。 ただ、五輪の頂点には縁がなかった。06年のトリノ五輪には年齢制限のため出場できなかった。同五輪では荒川静香が金メダルを獲得したが、「浅田が出場していたら」とささやく声も聞かれた。 満を持して出場した10年のバンクーバー五輪では、ショートプログラム(SP)、フリーをあわせ3度の3回転半に成功したが、金●児(ヨナ)(韓国)に及ばず銀メダル。「初めての五輪は悔しかった」と涙を流した。 4年後のソチ五輪ではSPで16位と出遅れたが、フリーで8つの3回転ジャンプを組み込んだ渾身の演技を見せ、リンクの上で感極まって涙を流す姿が感動を呼んだ。 11年には全日本選手権直前に母の匡子さんが急逝。悲しみの中で5度目の優勝を果たし「(母が)一番近くにいるような気がした」と目を潤ませるなど、逆境で見せる強さが国民の心を引きつけた。 ともに現役時代を過ごし引退の知らせに「泣きそうになった」という元フィギュア選手の中野友加里さんは「小さいころ一緒のリンクで練習したが、それこそ一日中練習していた。天才と騒がれていたけれど、自分に厳しい努力の人だった。ずばぬけた技術、美しさもあったが、一番のすごさは苦しさから逃げない精神力。天才である上にたゆまぬ努力を重ねたスケーター。存在感は別格だった」と惜しんだ。 産経ニュース http://www.sankei.com/sports/news/170411/spo1704110003-n1.html
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17/04/11 11:59:37
>>290なが
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No.290 ぎんなん
17/04/11 11:58:01
【浅田真央引退表明】
悲運の女王 伝説に幕 真央ちゃん、国民的スター
2017.4.11 01:08
引退を表明したフィギュアスケート元世界女王、浅田真央(26)は、超一流のアスリートであると同時に「真央ちゃん」と親しみを込めて呼ばれる国民的なスターでもあった。「お疲れさまと言ってあげたい」。14歳で世界ジュニア選手権を制し、数々のタイトルを手にした天才少女は、多くのファンに惜しまれながらスケートシューズを脱いだ。
「百点満点の出来。最初は緊張があったけど、トリプルアクセルの前にはなくなっていた。アクセルを決めたかったのでうれしい」
2005年、カナダ・キッチナーで開かれた世界ジュニア選手権で、浅田は当時、男子でも難しいとされた3回転半ジャンプ「トリプルアクセル」を決めて優勝した。翌06年にはシニアのビッグタイトル「グランプリファイナル」、08年には世界選手権で初優勝し一躍、世界のトップの座に。
ジャンプだけでなく、華麗なステップや美しいスピンなどで、今に続く日本フィギュア全盛期の先駆けとなった。一方、愛らしい表情や真摯な語り口で親しまれ、テレビのCMなどにも多く出演した。
ただ、五輪の頂点には縁がなかった。06年のトリノ五輪には年齢制限のため出場できなかった。同五輪では荒川静香が金メダルを獲得したが、「浅田が出場していたら」とささやく声も聞かれた。
満を持して出場した10年のバンクーバー五輪では、ショートプログラム(SP)、フリーをあわせ3度の3回転半に成功したが、金●児(ヨナ)(韓国)に及ばず銀メダル。「初めての五輪は悔しかった」と涙を流した。
4年後のソチ五輪ではSPで16位と出遅れたが、フリーで8つの3回転ジャンプを組み込んだ渾身の演技を見せ、リンクの上で感極まって涙を流す姿が感動を呼んだ。
11年には全日本選手権直前に母の匡子さんが急逝。悲しみの中で5度目の優勝を果たし「(母が)一番近くにいるような気がした」と目を潤ませるなど、逆境で見せる強さが国民の心を引きつけた。
ともに現役時代を過ごし引退の知らせに「泣きそうになった」という元フィギュア選手の中野友加里さんは「小さいころ一緒のリンクで練習したが、それこそ一日中練習していた。天才と騒がれていたけれど、自分に厳しい努力の人だった。ずばぬけた技術、美しさもあったが、一番のすごさは苦しさから逃げない精神力。天才である上にたゆまぬ努力を重ねたスケーター。存在感は別格だった」と惜しんだ。
産経ニュース
http://www.sankei.com/sports/news/170411/spo1704110003-n1.html
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No.291 つくね(塩)
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>>290なが