清水健アナ、読売テレビ退社へ 妻が早世「子供との時間大切に」

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  • 16/12/26 08:09:32

スポニチアネックス 2016年12月26日 06時10分

 読売テレビの清水健アナウンサー(40)が来年1月末で退社することが25日、分かった。その後はアナウンサーとしての仕事からは完全に離れ、講演活動に重点を置く意向という。昨年2月に愛妻を29歳の若さで亡くし、現在は2歳の息子を抱えながら夕方のニュース番組「かんさい情報ネットten.」(月〜金曜後4・47)のメインキャスターを担当。週末は講演活動も行うなど多忙な日々を送っており、関係者によると以前から周囲に「子供との時間を大切にしたい」と漏らしていた。
 関西の夕方の顔が電撃的に退職を決めた。親しい関係者によると、清水アナは今月上旬に退職願を提出。会社サイドからは何度も慰留されたが本人の決意は固く、来年1月末での退社が決まったという。
 複数の関係者によると今後、フリーアナウンサーとして活動する意思はなく、現在も行っているがん患者やその家族に向けた講演活動に重きを置きたいよう。加えて、長男との時間を大切にしたいという思いも大きかったようだ。
 清水アナは、スタイリストだった奈緒さんと13年5月に結婚。奈緒さんは翌年4月に妊娠が分かったが直後に乳がんが見つかり、治療を続けながら長男を出産したが、悪性のがんで進行が早く、昨年2月に息を引き取った。その間、清水アナは亡くなる直前の約10日間を除いて看病しながら番組出演を続けていた。
 今年2月には亡き妻への思いをつづった著書「112日間のママ」(小学館)を発表。わずか1カ月で10万部を突破するなど反響はすさまじく、直後から医療施設や市町村からの講演依頼が殺到した。「こんな僕でも役に立てることがあれば何でもやりたい」と取材で答えたこともあり、今ではほぼ毎週末を講演にあて、休日のない状態が続いている。
 友人によると、最近では以前より20キロ近く体重も落ち、体も悲鳴を上げているようだ。
 著書の印税を、がんの新薬開発や難病対策に取り組む団体などに寄付、助成するための基金も設立。そのような活動から、これまで何度も政治家への転身が伝えられることがあった。今回、退社にあたって政界進出を考える向きもあるが、近い関係者は「今は基金の方が大事なので頭にないのでは」と話した。
 ◆清水 健(しみず・けん)1976年(昭51)4月19日、堺市生まれの40歳。中大卒。2001年、読売テレビに入社。11年9月から「かんさい情報ネットten.」のメインキャスターに。今年2月に初の著書「112日間のママ」を出版し、4月にがん撲滅などに取り組む「一般社団法人清水健基金」を設立。愛称はシミケン。

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    • 16/12/26 23:06:24

    スポーツ報知 2016年12月26日 21時10分

    読売テレビ・清水アナ、退社会見「(亡き)妻は怒っていると思います」
     来年1月末で大阪・読売テレビを退社する意向が発表された清水健アナウンサー(40)が26日夜、同局で会見した。清水アナは昨年2月は最愛の妻・奈緒さん(享年29)を乳がんで亡くしたばかり。会見では「妻は怒っていると思います。『何言ってんの?』『みんなが支えてくれているのに』と。『ゴメンね』と言うしかない」。時折、左手薬指の結婚指輪をさわりながら、厳しい表情で話した。

     メインキャスターを務める同局のニュース番組「かんさい情報ネットten.」(月〜金曜・後4時47分、関西ローカル)も来年1月27日の生放送をもって卒業する。番組スタイリストを務めていた奈緒さんと知り合った思い入れの強い番組。「会社には『辞めなくていい』という言葉をいただいたが『ten.』イコール会社、読売テレビだった。僕のわがままを聞いてもらった」と説明した。共演者にも説明し「みんな泣いてくれた。『関係ない。ten.を離れてからも仲間やから』と言ってもらった」と感謝した。

     清水アナは今年5月、がん撲滅に取り組む施設・団体などを支援する「一般社団法人 清水健基金」を設立。妻の三回忌を迎える2月の前に退社し、その活動に専念するという。月〜金曜の帯の生放送に加え、週末の講演活動も行い、基金への寄付を募っている日々。2歳の長男がおり「息子との時間を割いてまで、やっていいのか」と悩んだが「寄付も増えてきて、やっとスタートラインに立てた。大切な思いを届けたい。生放送があると時間的に制約がある。一つ背負っていたものを下ろすことで、時間が使えると思う」と決断の理由を語った。

     退社を決意したのは10月。その頃から、心労が重なって体重は20キロ近く減ったといい「正直フラフラ。親にも仲間にも心配をかけるので大きな決断をした。心の体力ギリギリでやっているのかも分かりません」。退社についても自問自答を繰り返したが「最後の決め手は、息子の前で心から笑えていない自分がいた事。妻も余計、心配する。息子もいつか分かってくれると思います」と話した。

     会見では、来年10月に行われる地元の大阪府堺市の市長選に出馬する可能性についても質問が集中。「よく聞かれますがお答えのしようがない」「大切な事を伝えるのに精いっぱい。できないです」「しんどいです、正直」と否定の言葉を重ねた。

    • 0
    • 16/12/26 23:10:10

    奥さん亡くなってしばらく休んだ後テレビ復帰した時に「わたくしの個人的理由で番組を休ませてもらって大変申し訳ありませんでした」って震えながら言ってたのが忘れられない。
    辛い中、仕事と育児と色んな葛藤があっただろうな。
    こんなに痩せてこれからはマイペースで体に気をつけて頑張ってください。

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