- 下話
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>>982
続き。
撮影が終わって、またいつもの日常を取り戻していた。
今まで誰もが腫れ物に触るようにして出さなかった言葉。
「父ちゃん」
でも、慎吾は気にすることなくすごしているように見えた。
カトリさんに後味を悪い思いをさせてしまったな。
でも、もう会えないだろうな。
慎吾を保育園に迎えに行き、いつものようにしりとりをしたり、友達と遊んだ話を聞きながら家路に着く。
見慣れたいつものアパート…
…の前に、明らかに場違いな車が止まっていた。
高級車なんてベンツぐらいしか知らない私にも、それが庶民が乗らなそうなことぐらいわかった。
「あ。カトリくんだ!カトリくん!」
慎吾が叫んだ。
「まっさかぁ~」
と笑ったけど、慎吾が正しかった。
サングラスとマスクを外しながら車から出て来たその男性はカトリさんだった。
「やったぁ!やったぁ!やったぁ!」
慎吾が無邪気に駆け寄ったけど、私は状況が受け入れられずにいる。
「あの…」
「お。慎吾!慎吾ママ!おかえり!」
「え…?あの…」
「こないだ、慎吾に嫌な思いさせちゃって、気になってたんだ。で、チャイルドスターの、佐久間さんだっけ?あの人に聞いてさー。
慎吾も、慎吾ママも、ごめんね。」
「そんな。わざわざ」
「俺が慎吾ママって呼ぶのもおかしいよね(笑)名前は?」
「ゆり…です。」
「そっか!ゆりちゃん!」
人から名前で呼ばれるなんて、久しぶりだ。
「ねぇねぇ!カトリくん!ごはん一緒に食べようよ!」
「こらこらこら!慎吾!無理に決まってるじゃん!」
慎吾を制止したけど、帰ってきたのは思わぬ答え。
「いいねー!おなかすいたよ!」
「イヤイヤ!うち、狭いしきたないし散らかってるしぃー!」
焦る私をよそに、二人は手を繋いでアパートの階段を登って行った。
慎吾はただただはしゃいで、仮面ライダーの武器を振り回して技を決めて見せたり、保育園から持ち帰った新聞紙をくるくるまいて作った剣を自慢している。
カトリさんは「スゲー!」「かっこいいじゃん!」
と返してくれてた。
慎吾はごはんもろくに食べず、はしゃぎすぎて疲れたのか壁にもたれてウトウトし始めた。
そっと抱きかかえて、となりの和室に寝かせる。
よほど疲れたのか、すぐに眠ってしまった。
「慎吾、寝ちゃいました。カトリさん。あの。今日は本当にありがとうございました。」
「ん?まだ帰んないよ?」
「え?」
「だってさ、起きていなくなってたらさ、慎吾悲しむじゃん。」
母親の私でさえ、そこまで思いつかなかった。
浮かれてて、そこまで考えてなかったのに、なんていい人なんだろう。
…!
ってことは、慎吾が起きるまで、二人きり?!
「あの、カトリさん。」
「んぁ?」
マヨネーズをたっぷりかけた唐揚げを頬張りながら、無邪気に振り返る。
そっか。
この人に、下心なんてあるはずない。
ていうか、周りはキレイなモデルさんや女優さんで女には不自由してないんだから。
自意識過剰な自分が恥ずかしくなった。
「あの、お仕事は?」
おかしな警戒心を悟られないように、明るく聞いてみる。、
「だいじょーぶ!明日は10時入りでーす。」
「じゃあ、飲みましょうか?」
「わーい!ゆりちゃんの飯うまいし、サイコーだね!」
毎晩慎吾が寝た後の楽しみ。
ビールだけはうちにいっぱいある。
緊張をほぐすためにも、飲まなくちゃ!
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14/01/16 21:20:38