- ニュース全般
-
>>950
■7.「沖縄をたづねて果さむつとめありしを」
大田中将の「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後生特別ノゴ高配ヲ賜ランコトヲ」との電文を、昭和天皇がご覧になられたかどうかは定かではない。
しかし、昭和天皇の沖縄への御心は、大田中将の電文と軌を一にしている。
昭和天皇は、終戦直後から国民を見舞い、励まそうと、全国津々浦々を行幸された。
8年半かけて全都道府県を訪問され、1411カ所にお立ち寄りされた。
しかし沖縄だけは米軍軍政下にあって、行幸が適わなかった。
昭和62(1987)年、秋の国民体育大会でようやくご訪問の機会ができたのだが、その直前、病に倒れられた。
手術の3日ほど後、昭和天皇は「もう、だめか」と言われた。
医師たちは、ご自分の命の事かと思ったが、実は「沖縄訪問はもうだめか」と問われたのである。
昭和天皇の無念のお気持ちは、次の御製(天皇の御歌)に如実に窺われる。
思はざる
病となりぬ沖縄を
たづねて果さむ
つとめありしを
沖縄ご訪問を御自身の「つとめ」とする御心は、大田中将の「特別ノゴ高配ヲ」という願いに応えようとされているかの如くである。
つづく- 0
13/03/14 15:34:32