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>>947
■7.身はたとへ沖縄の辺に朽ちるとも
本島の中部西海岸に上陸して2ヶ月、米軍は激戦を続けながらじりじりと南下を続け、6月4日には海軍司令部のある小禄地域に進出した。
陸軍は本島最南端部の摩文仁(まぶに)に退いて、最後の抗戦を図ろうとしていた。
大田中将は、陸軍部隊の撤退支援を完了すると、「残存部隊を率いて、小禄地区を頑守し、武人の最後を全うせんとする」との電報を陸軍宛に送った。
海軍部隊が先に玉砕するのを見ているのは耐え難いと、陸軍の牛島司令官は「最期を同じくされんこと切望に堪えず」との電報を送ったが、大田中将の決意は変わらなかった。
6月6日、米軍は小禄飛行場と周辺の海岸線を完全に制圧し、戦線は海軍司令部壕を中心とする直径4キロほどの小さな円に絞られた。
その日の夕方、大田中将は次の辞世を詠んだ。
身はたとへ
沖縄の辺に朽ちるとも
守り継ぐべし
大和島根は
つづく- 0
13/03/14 15:18:43