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「太平洋戦争」は無謀な戦争だったのか
2010/02/07 08:34
No.643「沖縄県民斯ク戦へり」(上) ~ 仁愛の将・大田實海軍中将
2010/04/11 06:32
玉砕寸前の海軍司令部から「県民ニ対シ後生特別ノゴ高配ヲ賜ランコトヲ」と電文が発せられた。
■1.「県民ニ対シ後生特別ノゴ高配ヲ賜ランコトヲ」
沖縄戦の末期、「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後生特別ノゴ高配ヲ賜ランコトヲ」という電文が玉砕寸前の海軍の沖縄根拠地隊司令部から海軍次官あてに発せられた。
日本国内で唯一の地上戦が行われ、多数の住民が戦火に斃れた沖縄戦だったが、自らの最期にあたっても、まずは県民の苦闘ぶりを報告し、県民に対して「後生特別ノゴ高配」を願った仁愛あふれる一文は、多くの県民の心を慰め、戦後は心ある政治家を動かして、沖縄の祖国復帰の原動力となった。
この電文を発信したのは、どんな人物だったのか、そしてこの電文がどのように発せられ、どのように戦後の政治を動かしたのか、を辿ってみたい。
そこから、米軍基地など今日の沖縄の抱える問題への新しい視点も見えてこよう。
■2.運命の電話
電文の発信者は、沖縄根拠地隊司令官・大田實海軍中将である。
大田中将の沖縄での運命を決めたのは、一本の電話だった。
中将の5女・勝子さんは、こう書いている。
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昭和20年、松の取れて間もない夕餉(ゆうげ)
子供達7人を周りに機嫌の良い父にかかって来た電話は生涯忘れられないものとなった。
電話を受けた母の顔にさっと走る緊張。
受話器の父の口調にも子供ながら緊迫した空気を感じた。
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米軍の沖縄侵攻が迫ってくる中での、突然の任命には訳があった。
前任の司令官は航海出身で、陸上のことがさっぱり分からず、状況が段々切迫してくるのに、戦備が進まない。
そこで白羽の矢が立ったのが、海軍で陸戦の第一人者と言われた大田中将だった。
大田中将は上海事変の際に陸戦隊長として勇戦し、全滅の危機に瀕していた在留邦人を救出した勇将として知られていた。
この時の勝利で、日本中が提灯行列で沸き返ったが、本人は肩を落としたまま、黙々と杯を傾けていた。
「たくさん死なせてしまったからなあ。あの一つ一つの提灯の灯が、戦死した部下たち陸戦隊員の魂のように思えてならん」と語って、深夜まで飲み続けた。
つづく- 0
13/03/14 15:01:24