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>>536
■7.歴史学研究と歴史教育の違い
「なぜ歴史を学ぶのか」というスタートラインだけでも、これだけの違いがある。
東京書籍版(①)は「現在のことが大切なら、その歴史にも意味があるのではないでしょうか」と、知的、抽象的に述べ、育鵬社版(②)は「先人が築いてきた歴史のバトンを受けつぎ、これからの歴史をつくっていく、たくましいランナーになるために」と、生き方のレベルで説く。
なぜこんな差が出るのか。
弊誌が邪推するに、東京書籍版の著者たちは戦後長らく歴史学界を風靡してきたマルクス主義の影響下で研究してきた人々ではないか。
マルクス主義は「労働者階級と資本家階級の階級闘争が歴史を形成してきた」というような理論的、抽象的な見方をする。
そこには歴史上の人物が志を抱いて、自分の人生を何事かに掛けて生きていった、というような個人の「生き方」は捨象されてしまう。
したがって歴史の中に尊敬する人物を見つけるという、心躍らせる醍醐味は味わえない。
味わえるのは、歴史のメカニズムを理論的に解明する知的興味だけである。
これはマルクス主義に限らず、専門的な専門的な歴史研究では概ねこうなってしまう。
こういう姿勢で、長年、歴史を研究してきた人々には、歴史学で知的興味を満たすことはあっても、手に汗握る歴史物語を読んだり、尊敬する人物の伝記から生きる元気をもらったり、という経験はあまり持ち得ない。
歴史学の専門研究者ならそれでも良い。
しかし、そうした人々が専門研究を離れて、中学生になぜ歴史を勉強するのか、と説こうとすると、「現在のことが大切なら、その歴史にも意味があるのではないでしょうか」などという気の抜けたセリフになってしまう。
続く
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13/03/24 22:44:42