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- 11/08/06 20:40:11
「生後5か月までに5回の手術…生きる力は強い」「生まれたなりを自分自身と思って生きてもらうしかない」…野田聖子さん
――お子さんの障害がわかったのはいつですか。
野田 妊娠12、3週です。臍帯ヘルニアといって、おへその側に肝臓が飛び出している状態でした。ほかにも、心臓障害、染色体異常とか、重い病気が起こりやすいと言われました。
――染色体などの検査は受けましたか。
野田 主治医から「羊水検査をしますか」と言われましたが、検査で染色体の異常がわかっても治せるわけではないという。私は最初で最後の子だと思っていて、何があっても中絶する意思はなかったから、「検査はしません」と答えました。
――どういう障害を持った子でも育てようという気持ちだったのですか。
野田 はい。
――障害があることと、幸せは関係ないですか。
野田 夫には「どんな障害を持っていても、幸せにするのが私たち夫婦の仕事」と言いました。息子にできないことはたくさん出てくると思います。オリンピックに出られないとか。あらかじめ可能性に限度があるのは申し訳ないと思うけれど、そういう人はたくさんいる。生まれたなりを自分自身と思って生きてもらうしかない。そのかわり、そのために親としてやるべきことをやるしかありません。
――帝王切開での出産でした。
野田 肺呼吸ができなくて死ぬ可能性もある、と事前に言われていました。生まれた時刻を記録する医師の声は聞こえたのに、泣き声が聞こえなかった。やっぱり先生の言った通り、だめだったのかなと体が固まった。そうしたら、かすかな泣き声がしました。子猫が鳴いているような。「ああ、生きているんだな」とわかって、嬉しかったです。
――お子さんは何度も手術を受けたのですか。
野田 食道閉鎖症で、食道と胃が離れていて、ミルクが飲めませんでしたから、生まれてすぐに、胃ろうの手術をしました。胃に直接栄養を送る管を入れる手術です。それから、肝臓を閉じる手術、離れていた食道と胃をつなぐ手術など、生後5か月までに5回の手術をしました。体重が増えたら、心臓の本格的な手術をする予定です。鼻から酸素。胃ろうでミルク・・・。いま3本の管が彼を生かしている。最悪の時は17本くらいチューブが入っていたことを思えば、すごい進歩です。生きる力は強いなと思います。泣き声を聞けるようになったのは、人工呼吸器が外れた5か月過ぎから。最近笑うようになりましたが、わんわん大きな声で泣いている時も嬉しい。
-おわり-
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