北朝鮮が日本人拉致作戦再開

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      13/05/28 16:37:32

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    北、若い漁師を標的 髪形まね、腕時計まで日本製
    産経2013.5.28 11:53 (1/4ページ)[北朝鮮拉致事件]


    工作船で襲い「年いくつか」


     日本漁船を装い、持ち物まで日本製でそろえ、日本語も教え込まれた-。
    北朝鮮の朝鮮人民軍元幹部の証言からは「漁民作戦」の徹底ぶりがうかがえる。1962年に始まったという軍による日本人拉致の新証言で、これまで日本政府が認定している拉致被害は「氷山の一角」である疑いが改めて浮上した。


     「晴れ時々曇りです」「島に行ってきます」「エンジン故障です」…。元幹部が「対日漁民作戦」に参加する前に教え込まれた日本語だという。どの海域でどういった魚介が取れるかもたたき込まれた。

     偽装は細部まで徹底された。髪形は当時の日本人男性をまね、腕時計はセイコー製。服装は靴下から手袋、ボールペン1本まで日本製でそろえた。

    80トン級の日本漁船を模した工作船だったが、中身は違った。米国やドイツ製エンジンが積まれ、約40ノット(時速74キロ)で航行。周囲約50キロを探知できるレーダーも搭載された。半日ほどで目的の海域に到達、翌日には北朝鮮に戻るヒットアンドアウェーの拉致が実行されたという。

     80年代には日本海で日本漁船に偽装した北朝鮮の工作船と韓国海軍が銃撃戦を行い、日本漁船が韓国軍に誤射される事件も起きた。日本海に出没する偽装工作船に韓国軍が神経をとがらせていた様子が浮かぶ。


    ■作戦 暗闇で実行
     レーダーで日本漁船を捕捉。船員が「多すぎず、少なすぎない」中小型漁船に狙いをつけた。夜陰に紛れ、標的の船に工作船をぶつける。日本船はこうこうとあかりをともしているため無灯火の工作船に気づくことはなかったという。

    「止まらないと撃つぞ」「1人ずつ船室に入れ」。工作船から6、7人が日本漁船に飛び乗り、銃などで日本人船員らを脅しながら「年はいくつか」といった最小限の言葉だけで拉致に見合う若者を選別。残る全員は船倉などに閉じ込め、機関室下の船底など特定箇所に工具で穴を開けた。

     「水柱が噴き上がり、数十分もすれば、船が海面に立ち上がるような格好で沈んでいった」

     船舶関係者らによると、証言通りの方法なら船は実際に沈没するという。

     作戦は暗闇で実行されたため、被害者の顔などはほとんど判別できず、北朝鮮への帰港まで見張りの工作員らが言葉を交わすこともなかったという。元幹部は「日本人という成果物が必ず求められた。空振りは許されなかった」と話した。


    ■証拠は残らず
     「船を沈めれば証拠は残らない。船が戻らなければ遭難したと考える。それが船員拉致の最大の理由だ」

    横田めぐみさん=拉致当時(13)=ら17人の政府認定の拉致被害者は70年代後半から80年代にかけて集中的に拉致されていた。「金日成(キム・イルソン)主席の後継者として朝鮮労働党の対外工作を握った金正日(ジョンイル)総書記が指令した」とされている。しかし船員拉致が開始されたとされる62年はそれ以前だ。

     元幹部は「70年代半ばからは、金正日総書記の承認を受けて実行された」としながらも「作戦は金日成時代から始まっている。政治犯収容所も金日成時代からある。金正日総書記は人権を無視したやり方を受け継いだ」と強調する。

     当時は命令通りに拉致の実行に加わったが、「同じ人間がやることではない」との後悔と「軍の拉致が闇に葬られる」との葛藤から重い口を開いたという。

     「部隊で目にした日本の映画の中の街は光があふれていた。北朝鮮は真っ暗なのに。これはなぜかという矛盾を抱き続けてきた」

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