- なんでも
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【バブル期の父母の就活がド派手すぎ! 内定するとクルマ、海外旅行、TDL......】
「売り手市場の時だったので、内定の時に会社からクルマをもらった人もいました」(母親・文系)
「関西から東京に企業訪問に来て、複数社から往復の交通費(新幹線代)を支給された」(父親・理系)
「超売り手市場だったため、すべての企業で全額交通費が支給され、週末に東京などで何社か回ると、ものすごい小遣いになった」(父親・理系)
「学校からの斡旋だったので、受ければすぐ受かる状況だった」(母親・文系)
「就職情報誌に載っていた資料請求ハガキを送っただけなのに、内定の電話がかかってきたことがあった」(父親・文系)
「売り手市場で特に困ったことはなく、学校推薦で希望の会社に就職できた」 (母親・理系)
「学校の就職担当からどういう職種が希望か聞かれて、紹介者に面接へ行った。そして採用となったので自分自身は会社訪問もしていない」(母親・理系)
「就職活動期間が短かった。短大卒女子の就職がとてもよく、学校推薦をもらう前に内定が出てしまい、逆推薦という形が多かった」(母親・文系)
「ペパーミントグリーンのスーツや半袖のスーツを着て就活した。今では考えられないでしょうね」(母親・文系)
「あまりに多くの企業から内定をもらったので、その内定を断るのが大変でした。詫び状を書いたこともありました」(父親・文系)
また、当時は就職協定で10月1日以降が「内定出し」と決まっており、10月1日が事実上の「内定式」だった。そこに来た学生が「入社確定」になるため、「囲い込み」が熾烈を極めた。内定式の数日前から観光地のホテルなどを借り切り、「施設見学」などの名目で学生を軟禁状態にするのだ。
開業して間もない東京ディズニーランドに行ったり、海外旅行に連れて行ったりする例も珍しくなかった。内定式が終わるまでは、夜は懇親会と称したドンチャン騒ぎも繰り広げられた。これが「内定拘束」といわれるもので、19.0%が経験していた。
https://www.j-cast.com/kaisha/2018/12/22346458.html?p=all- 0
22/01/21 16:09:11