- なんでも
-
仏教の開祖「仏陀(ブッダ)」のお言葉 -現代語訳-
ここに愚かな女と智恵ある女のふたりがいたと想定しよう。
愚かな女は、例えばここでオレンジを一つ買う。
それを食べて、その美味しさを味わう。
次の日も2こ、3こ、4こ、と買って、満足するまで食べる。
そして、「オレンジはもう、たくさん!」となる
オレンジはもう、おいしくない。
それじゃ次は、ぶどうにしよう。
彼女はぶどうを食べる。
飽きるまで食べる。
次はりんごだ。
りんごで同じことを繰り返す。
そしてバナナ、ナシ、柿…と、彼女はいつまでも繰り返す。
ここで、その女性が頭の良い女性だったらどういう過程をたどるのかな。
その女性は、オレンジに飽きたとき、「自分はなぜ、オレンジに飽きたのか?」と考える。
そして、「自分は今は、ぶどうを食べたいと思っているけど、さっきのようにぶどうにも飽きるかもしれない。」という考えに至るだろうね。
そして、ぶどうに挑戦するとき、「自分がぶどうを食べる時の心の変化を、客観的に見てみよう。」と決心する。
そして、ぶどうを食べていきながら、飽きるまで食べる量を増やしていきつつも、心の変化を理解していく。
そうするとね、オレンジとぶどう、これくらいで『飽きる経験』はすんでしまうわけだ。
嫌になるほどの経験は少し済んでしまうから、次のりんごまでいかない。
いく必要がないんだ。
オレンジやぶどうがね、異性に変わっても同じだね。
例えば、あなたのいうことを何でも聞いてくれる彼。
例えば、有名大学卒で容姿の良い男性。
例えば、お金持ちの実業家。
初めに、あなたの言葉通りに動く都合のいい彼と付き合っていてね、
物足りなくて高学歴の姿形のいい男性を彼氏にしたいと考える。
それも駄目なら、金持ちの男を望んでみる。
お金そのものについて空想しても同じだよ。
もし予想していなかった大金が手に入ったら?もし親族の遺産が手に入ったら?
もし宝くじ1等が当たったら?…悠々自適に暮らせるだろう。
楽して暮らせるのだ、マンションを買おうか、高級なクルマ、
それともお手伝いさん付きの豪華な家に…。
次々に心が移ってしまうプロセス、これも経験としては同じだ。
だから、私達は、もしオレンジで心の動きを理解したならば、
お金に対しても、異性に対しても、惑わされることはないはずだよ。
その瞬間、あなたに、悟り(さとり)が訪れます!
急に、「悟り(さとり)」、なんて言葉がでてきてびっくりしたかな?
"くだもの"や、"異性"や、"お金"と、「悟り」が、
なにやらつり合わないような気がするかもしれない。
しかしだ、悟りとは心の動き、あるいは真我がどのようにして闇の中に入っていくかを、
客観的に見て理解できる状態のことなんだ。
いいですか。
これが悟るということです。- 1
21/03/06 22:06:31