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- 17/01/15 18:56:16
韓国工芸芸術家協会会長「朝鮮が日本へ螺鈿の技術を教えた」
「伝統工芸業界の大夫」「工芸家の請願室長」「職人たちの解決士」
韓国工芸芸術家協会の李七竜(イ・チルヨン)会長(71)=写真=には、こんな別名がついて回る。その李会長が、これまでブログに載せた文章や新聞への寄稿記事などを整理し、『李七竜の工芸日記』という本を出版した。李会長は「工芸界の問題や韓国政府の政策をいくら指摘しても問題が改まらないので、記録として残しておこうという考えを持つようになった」と語った。
同書は、韓国伝統工芸の現場で起こっていることに対する告発と苦言がほとんどを占める。「職人たちの作業現場へ実査に来た一部の教授や文化財委員のせりふがひどい。『検定考試(高校卒業程度認定試験に相当)上がり』『嫁には行ったか』というように。こんなぞんざいな発言こそ、甲チル(優越的な地位を利用した無理強い)の横暴ではないのか」。
韓国の政府機関が発行する書籍や記録の誤りも指摘した。李会長は「植民地時代に韓国の職人が日本へ渡って螺鈿(らでん)の技術を伝えたのに、逆に『日本から学んできた』と誤って記述している点が特に問題」と記した。本書の序文には、こんな記述が登場する。「日本の『フジヤマ大百科事典』(原文ママ)には『韓国の螺鈿漆器職人・全成圭(チョン・ソンギュ)は、宋周安(ソン・ジュアン)、金奉竜(キム・ボンリョン)と共に日本へ渡り、螺鈿の技術を教えた。朝鮮の一流技術者を迎えたことで、こんにち高岡市の螺鈿漆器には韓国の螺鈿漆器の影響がはっきりと表れている』と記されている。なのに、国立文化財研究所が2009年に出した『韓国近現代螺鈿図案』には『宋周安は高岡へ研究生として赴き、8年間技術を学んで帰国した』とあべこべに記録している」
1970年に螺鈿漆器へ入門した李会長はハンミ工芸社を設立、70年代から80年代にかけて螺鈿漆器の製品を日本へ輸出して巨額の利益を得た。96年に不渡りを出して会社を畳んだ後、工芸運動家へと転身した。李会長は「伝統工芸は工房で作業する職人によって伝承・伝授されるというのに、職人を冷遇する風土が残念」と語った。
許允僖(ホ・ユンヒ)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2017/01/15 06:02
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/01/13/2017011301579.html
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ら‐でん【螺鈿】
ヤコウガイ・オウムガイなどの貝殻の真珠色に光る部分を磨いて薄片にし、種々の形に切って漆器や木地の表面にはめ込み、または貼(は)りつけて装飾する工芸技法。日本には奈良時代に中国から伝えられ、平安時代には蒔絵(まきえ)にも併用された。摺(す)り貝。
(デジタル大辞泉)
螺鈿
らでん
漆工芸品の加飾法の一つ。螺は貝,鈿は物を飾る意味で,貝殻を文様に切り,器物の表面に張付け,あるいは象眼 (ぞうがん) して漆で固定したもの。貝は古くは夜光貝,蝶貝などを用い,近世はあわびを使用することが多い。
(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)
螺鈿【らでん】
螺は貝,鈿は物を飾るの意で,貝の真珠質の部分を文様に切り,平らにみがいて漆地または木地にはめこんだり,はりつけたりして装飾したもの。日本には奈良時代に唐の技法が伝えられ,《螺鈿紫檀五絃琵琶》などすぐれた遺例が正倉院に多数ある。
(百科事典マイペディア)
らでん【螺鈿】
漆工芸技法の一。貝殻の真珠光を放つ部分を磨すり平らにして細かく切り、文様の形に漆器や木地にはめこんで装飾するもの。中国唐代に発達、日本へは奈良時代に伝来、平安時代には盛んに蒔絵まきえに併用された。薄い貝を用いたものは特に青貝ともいう。摺すり貝。
(大辞林 第三版)
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