• No.2 主 森亜るるか

    26/09/27 16:27:39

    >>1
    ☆宇野千代の生涯(後半)①
    1930年(昭和5年) ガス自殺を図る男女の小説「罌粟はなぜ紅い」の題材の取材した洋画家・東郷青児と同棲を始めた。尾崎と離婚
    1934年 賭けマージャンで青児とともに警察に連行
    1935年 青児が情事事件の相手の女性と復縁して千代と離別。青児を題材にした「色ざんげ」を刊行
    1936年 スタイル社創業(→「文體社」に改名)。ファッション誌「スタイル」創刊(→「女性生活」に変えて1944年廃刊)
    都新聞(現・東京新聞)の記者の北原武夫と同棲
    1939年 北原武夫と4度目の結婚
    戦時中は武夫が報道班員でジャワへ出征→復員。疎開で熱海→栃木で暮らす
    1946年(昭和21年) 「スタイル社」を再興。社長が武夫で千代が副社長。「スタイル」を復刊。1947年文芸誌『文體』を復刊
    臨時増刊として着物専門誌『きもの読本』を刊行
    1949年 「宇野千代きもの研究所」を設立。武夫の親友・井上友一郎が武夫と千代をモデルにした小説「絶壁」シリーズを発表してスキャンダル騒動に
    1950年 ライフスタイル提案ショップ「スタイルの店」オープン
    1951年 継母・リュウ他界
    1952年 スタイル社が脱税し巨額の追徴課税を払った
    1957年 「おはん」を刊行(主人公・おはんのモデルはリュウ)第五回野間文芸賞受賞
    1959年 スタイル社倒産
    1963年(昭和38年) 雪道で転倒して骨折で入院。この時看病をした「宇野千代きもの研究所」社員の藤江淳子はその後、千代が亡くなるまで秘書を務める
    1964年 尾崎士郎他界。負債を完済して武夫と離婚
    1960年代から作家活動再開。1980年代から女性向けの恋愛論・幸福論・長寿論などのエッセイを数多く執筆
    1967年 着物関連の事業を一本化して「株式会社宇野千代」設立。千代のデザインした着物は「宇野千代小紋」として大手百貨店などが取り扱う

    続きあり >>2

  • No.3 主 森亜るるか

    26/09/27 16:30:19

    >>2  続き

    ☆宇野千代の生涯(後半)②
    1970年 小林秀雄から岐阜の樹齢1200年の「淡墨の桜」が見れるかもしれないと聞いて訪れたが…すでに伊勢湾台風(1959年)で木は無残な姿に。千代はこの桜の再生をするため募金活動をして淡墨の桜が蘇生した。この話を小説「淡墨の桜」にして1975年に刊行
    1971年 小説「幸福」で第10回女流文学賞受賞
    1972年 日本芸術院賞を受賞し、日本芸術院会員となる
    1973年 岩国の実家を修復。「宇野千代全集」完結
    1974年 勲三等瑞宝章受章
    1982年 菊池寛賞受賞
    1983年 「生きて行く私」が100万部越えるベストセラー
    1990年 岩国市名誉市民となる文化功労者として顕彰される
    1996年(平成6年) 急性肺炎で虎の門病院で死去(98歳)

    千代の著作権は藤江淳子が引き継いだ
    千代が終生、心から楽しんでいた趣味は麻雀
    千代が「一番好きだった人」は尾崎士郎

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  • No.4 主 森亜るるか

    26/09/27 16:36:19

    あっ…入力する文字数制限で後半が2つに分けるしかなかったわ…

    >>1 宇野千代の生涯(前半)
    >>2 宇野千代の生涯(後半)①
    >>3 宇野千代の生涯(後半)②

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