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- 23/08/18 18:21:02
“命を救う”という理念のもとで理解を広げてきた慈恵病院(熊本市)の「赤ちゃんポスト」。しかし2020年3月までに預けられた155人のうち、早期新生児は85人にすぎず、残りがある程度育った赤ちゃんだったとされる。取材を続けてきた元熊本日日新聞社記者でジャーナリストの森本修代さんによれば、現場は想定外の事態ばかりで、それこそ初日から驚くような出来事があったそうで――。
◆開設日に預けられたのは3歳児だった
2007年5月10日。赤ちゃんポスト「こうのとりのゆりかご」が設置された。
蓮田は新しく整備したポストの前で、数十人の報道陣を前に「緊張しています。命を守ることが一番大切。理解が深まるよう頑張っていきたい」と話した。
それからわずか数時間後、病院職員は驚愕する。最初の子どもが預けられたのだ。
「赤ちゃん」ではなく、3歳児だった。キョトンとしてベッドに座っていた。男児は「新幹線で来て、お父さんにかくれんぼしようと言われた」と話したという。
当時を知る関係者によると、児相に保護された男児は、職員に「今日はここにお泊まりしようね」と言われると、「嫌だ。おうちに帰る。おうちに帰る」と言って激しく泣き続けた。
自分の靴を靴箱に入れず、手に持って離さなかった。どうしても離さないため、靴をビニール袋に入れて男児の服にくくりつけた。
部屋の入り口の扉が開く音がすると、「お父さんが迎えに来てくれた」と思って走って行き、靴を持って「帰る、帰る」と泣きながら訴えたという。関係者は「切なかった」と振り返る。
◆「お父さん」が迎えに来ることはなかった
遠い県外から預けられ、周囲には熊本弁を話す大人ばかり。言葉もなじみがなかっただろう。物心ついた子どもにとって、どれほど過酷な環境だったろうか。
https://news.yahoo.co.jp/articles/8ed1dd54f8cc3f8c1a0368aa497ba918b235f65c
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