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- 23/07/09 20:51:23
横浜市内を見晴らす高台に墓はある。青葉区恩田町の徳恩寺の合葬墓「千秋せんしゅうの丘」の前には、色鮮やかな花が供えられていた。
雨がしとしと降る3月下旬、知人らと訪れた高齢の男性は傘を置き、墓石を拭いた。 「仲間が覚えているぞ、と伝えたくて」
墓から20キロほど離れた寿地区が、男性たちの生活拠点だった。
中心の地名から「寿町」と呼ばれ、戦後の米軍による接収が1955年に解除されて以降、港湾労働者と簡易宿泊所が集まった。 住職の鹿野融完かのおゆうかんさん(53)は「家族と疎遠な人も少なくない。死後の不安を和らげる場所がなかった」と話す。
先代である鹿野さんの父が、寿町の住民とつながりのあった弟子から実情を伝え聞き、50年近く。
2代で地蔵を建て、無料で経を唱えた。91年からは千秋の丘に無縁仏を埋葬している。
東京・山谷地区などの路上生活者らを含めた300人以上の遺骨が眠る。
40年近く寿町で暮らす近藤昇さん(75)は「弔う気持ちがあっても、市営の墓地には埋葬されているかさえ分からない」。
横浜市は個人情報だとして、親族以外に埋葬先を原則伝えない。だからこそ、千秋の丘は「旧友をしのべる場所がよすがになる」という。
寿町の簡易宿泊所に暮らす5400人の高齢化率は5割を超え、多くは単身者。 人生の終わりをどのように迎えるかを考えることは避けられない。
町の福祉作業所に長年携わる佐藤真理子さん(70)によると、以前は「どうせ誰からも供養してもらえないんだ」と投げやりな人が多かった。 亡くなった後に遠方の親族に伝えても「遺骨を宅配便で送って」とそっけなかった。
千秋の丘ができてからは、佐藤さんの元には少ないながらも、毎年のように合葬を望む人からの問い合わせが続く。
「死後を考えられることが、安心して生きることにつながっているのではないか」と推し量る。
福祉作業所で働く男性(64)は合葬を願う。沖縄出身で漁師や建築業を転々とし、30年ほど前に寿町へたどり着いた。パートナーや子はいない。千秋の丘には共に旅した友人たちが眠る。男性は笑って言った。
「一人じゃない。だからこれからも、死んだ後も、ここにいたい」核家族化や少子高齢化を背景に、無縁仏の問題は身近になっている。識者は「誰もが無縁になり得る」として行政による支援の必要性を指摘する。
続きは 東京新聞 2023/07/09 6:00
https://www.tokyo-np.co.jp/article/261791
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