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- 23/01/10 18:16:42
◆ざっくり言うと
・母と折り合いが悪かったが、体調の悪さから実家を頼り里帰り出産をした女性
・実家で寝ていると「そんなに弱い母親じゃ、育てられない」と言われたことも
・夫の一言で「私は母にダメな人間にされているんだ」と気づいたそう
◇◇◇
「毒されている」と感じたら、それは毒母。30代女性が里帰り出産を心の底から後悔した理由
2023年1月4日 22時5分
明らかな暴力やネグレクトといった刑法にあたる被害は別として、「毒母であることを決める」基準はない。娘が毒されていると感じれば、それは毒母なのだろう。そしてつきあい方を決めるのは娘しかいない。毒母を変えることはできない。
◆母と折り合いが悪かった
母との折り合いが悪いのはわかっていた。だから高校卒業後、専門学校に入るときに家を出た。そこからはいっさい、親に頼らない人生を送ってきたとフユミさん(38歳)は言う。
「29歳で結婚したときも、親とは一度食事会をしただけ。結婚式も挙げなかったから、夫は私の両親と、私は夫の両親と1回しか会っていないんです。夫の実家は遠方だし、夫自身も4人きょうだいの末っ子で『実家にはあまりいい思い出がない』と。それでも数年に1回、夫だけ帰っています。主に友だちに会うのが目的みたいです」
フユミさんの実家は、自宅から1時間程度の距離。だが彼女は結婚後も親を頼らなかった。18歳まで両親と一緒だったが、夫同様、いい思い出はないそうだ。
「私は3人姉妹の真ん中なんです。長女は最初の子でかわいがられ、末っ子は年が離れているのでかわいがられた。でも姉と2歳違いの私は、むしろ比べられてばかり。家にいると、よく母に『あらあんた、いたの?』と言われました。今思えば、母はなにげなく言ったのかもしれないけど、私は『あんた、いたの? いなくてもいいのに』と受け止めていた。そんなふうに感じさせる言い方だったし……」
姉を見て育ったので、どういうことをしたら叱られるのかもわかっていた。要領がよかったから、親と親密になりそこねた側面もあるのかもしれないと彼女は言う。
「虐待されたわけでもないので、私の口から毒母とは言いづらい。だけど母は明らかに私のことをあまり好きではなかったんだと思います。親子だって相性はある。しかたがないとも言える。ただ、母はことごとく私のやりたいことをディスってきたんですよ。
姉は部活でバドミントンをやっていたけど、私はバスケットをやりたかった。すると母は『おねえちゃんと同じバドミントンにしなさい』と命令口調。バスケが好きなんだと言っても譲らない。結局、私はバスケをやりましたが母がユニフォームを買ってくれなかったので、親戚がやっている飲食店で皿洗いをさせてもらってバイト代をもらい、ユニフォームを買いました。
母は『買ってほしいといえばよかったのに。あんたはかわいくない』って。拒絶されるのがわかっていたら頼まないですよね」
その分、自立が早かったのかもしれないと彼女は苦笑した。
◆それでも出産前後は頼るところがなくて
結婚して1年後、妊娠がわかった。出産が近づくにつれ体調は悪化、無事に出産したものの産後も体調の悪さは続いた。
「とても産まれたばかりの子のめんどうを見られる状態ではなかった。寝たり起きたりです。誰かに手伝ってほしかったけど、頼る場も人もいない。姉が母にそれを話し、母は『しばらく家にいればいい』と姉を通じて言ってきた。それで実家を頼ったんです」
家にいればいいと言ったくせに、フユミさんが寝ていると、「どうしちゃったのよ」と言い放つ。具合が悪いと言うと「そんなに弱い母親じゃ、子どもを育てられないね」と決めつけるように言う。
「体が弱っているから気も弱っているわけですよ。私はダメな母親なんだと刷り込まれていくんです。夫が来たときは盛大に愚痴を吐きました。3ヶ月ほどたったころ、夫は『きみとお母さんの関係はわからないけど、ここにいると、きみがどんどん別人になっていくような気がする』と言ったんです。ハッとしました。そうだ、私は母にダメな人間にされているんだ、と」
>>1に続く
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