- なんでも
- 匿名
- 22/11/14 17:42:55
1999年9月30日、茨城県東海村の核燃料加工施設で臨界事故が
発生した。大量の放射線を浴びた大内久さんの、83日間にわたる
壮絶な闘病記録。
読んだ後、かなりのショックだった。その状態がしばらく続いた。
頭の中を、読んだばかりの本の内容がぐるぐると回っていた。これは
人的災害だった・・・。マニュアルを無視した、あまりにもお粗末な
作業内容。安全性の考慮のかけらもない。
大量の放射線を浴びると人はどうなってしまうのか?それは恐怖の
一言に尽きる。骨髄細胞の検査で判明した染色体の破壊。そのことは、
今後新しい細胞が作られないことを意味していた。古い細胞から新しい
細胞への入れ替わりがない体。再生できない!朽ちていくだけなのだ。
現代の最新医療をもってしても、それを止めることは不可能だ。
こんなにも放射線被爆というのは凄まじいものなのか。遺伝子レベルでの
破壊が起こるのだ。最後まであきらめることのなかった大内さん本人、
ご家族の方たち、そして医療現場の方々。壮絶な闘病記録は、読んでいて
胸が痛くなるほどだった。
原子力の利用。それはこれからも続くのだろう。原子力を利用しようと
する限り、この事故のことを決して忘れてはならないと思う。つねに
危険と隣りあわせだということを認識していなくてはならない。
あらためて、この事故の犠牲者の方々の冥福を祈りたい。
これを読んだ貴方は、原発推進派、否定派?
- 0 いいね