重症の大谷選手、他界した恩師へのメッセージを綴る。感動的な記事だから読んでみて

  • なんでも
  • 山茶花(ひたむきに愛します)
  • 22/10/08 10:04:48

10月に入って撮影されたという写真の大谷はベッドに座り、正面を向いていた。ノドの部分に器具がついている以外は気丈に振る舞っているように見えるが、現実は深刻だ。
 4月10日の両国大会でノアの杉浦貴と対戦した際、コーナーのターンバックルめがけてジャーマンで投げられた直後に動かなくなった。診断結果は「頸髄損傷」の重傷。首から下が麻痺で動かない状況が現在も続いている。

 関係者によると、大谷はリハビリに専念できる体調になったため、8月中旬に都内の専門病院に転院。毎日2~3時間のリハビリメニューに取り組んでいる。

 コロナ対策のため親族以外の面会はできていない。それでも大谷はメッセージを届けようと、これまでは看護師が代筆する形でコメントを出してきた。さらにここにきて、病院側の配慮でアゴを使ってスマートフォンを操作できる環境が整ったという。

 負傷以来、自分のスマホを開けたのは約160日ぶり。寄せられた数多くの激励メッセージを目にした。1行を書くのに2~3時間を要す。それでも丸1日かけて記したのが、師匠の死についてだった。

「小学二年生の時 アントニオ猪木VSスタン・ハンセン戦をテレビで観た瞬間、僕の人生は決まりました。アントニオ猪木に憧れてプロレスラーになりました!」(すべて原文ママ)の書き出しで、猪木さんへの思いをつづった。

「プロレスを背負い様々な世界に立ち向かった猪木さんこそ誰よりも〝プロレスの力〟を信じておられたのだと思います。多くの人達から頼られ常に期待されるプロレス人生のプレッシャーは想像を絶するものだったと思います。それでも最後まで闘い続け、多くの人達に勇気を与えて下さった猪木さん 本当にありがとうございました!! そしてお疲れ様でした。心からご冥福をお祈りいたします」

 猪木さんを見て大谷は大のプロレスファンになった。地元・山口に巡業で訪れた猪木さんをホテルで出待ちしていた時のこと。警備員に排除されそうになったところを猪木さんの「離してやって」の言葉で助けられ、身に着けていた赤い闘魂タオルにサインをもらった。

 とっさに大谷の口から「新日本プロレスに入ります!」という言葉が出た。すると「フフフッ。待ってるぞ」と猪木さんが声をかけたのは有名な話だ。

 この猪木さんの言葉を胸に大谷はプロレスラーを志し、1992年6月に新日本プロレスでデビューした。大谷の負傷について、猪木さんは5月のインタビューで「プロレスというのは非常に甘く見られることもある半面、全くそうじゃない厳しい面があるんでね。甘い言葉は言えないね。『早く良くなってください』とか。かなり重傷だって聞いていますんで」と気にかけていた。

 また、ファン、選手、関係者に向けても大谷は「先日約160日ぶりに自分自身のスマートフォンを開くことができました。そこには、プロレス界の優しさとあたたかさが溢れていました。僕に手を差し伸べてくださった皆様、本当に心の底からありがとうございます」と感謝のメッセージをつづった。その上で「今後は、できる限り皆様に『今』の僕の思いを直接お伝えさせていただきたいと思います」とし、今後は自らツイッターで発信するとした。

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