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- 22/01/24 09:42:39
《埼玉・白岡15歳少年暴行死》「ママに赤ちゃんができたので、小5から学校に行かず下の子の世話を…」8人きょうだい大家族 兄が受けた悲劇とトラブル から続く
当時はまだ学校に来ることもあったという 埼玉県白岡市で15歳の中学生・加藤颯太くん(15)が1月15日、自宅で意識不明の状態で見つかり、その後死亡した事件。
颯太くんは8人きょうだいの大家族で、母親とその内縁の夫であるA氏と同居していた。長男の颯太くんは弟、妹の面倒を見るため小学校5年生から不登校となり、同級生など地元の友達とは疎遠だったという。
母親は、15日の数日前に颯太くんが「ケガをして帰宅した」と説明。近隣でも先月、足を引きずって歩く颯太くんの姿も目撃されている。県警は事件との関連を慎重に捜査している。
当時、一家は埼玉県の蓮田市内の借家に暮らしていた。 引っ越した後の白岡市の小学校では颯太くんは不登校で、卒業アルバムには名前しか残されていなかった。数少ない颯太くんの小学校時代の思い出の写真だ。
小学校4年生の頃から不登校に… 同級生の保護者が証言する。 「一番上のお姉ちゃん、颯太くんとその弟が小学校に通っていたのですが、颯太くんも小1~小3くらいまでは、学校にもちゃんときていました。礼儀正しくて活発な子で、近所のお友達ともよく遊んでいた。不登校になったのは4年生くらいから。『下の子どもの面倒をみないといけない』と言って、学校に来なくなりました。丁度、一家に6、7人目の子が生まれた頃だと思います」 必死に赤ん坊の世話をしていた颯太くんは姉とともに日中、ベビーカーを押す姿が近隣で頻繁に目撃されている。
当時、母親は看護師として近所の病院で働いていたが、生活は苦しかったという。 「低学年の頃、給食で魚がでたときに『うちでは小さい魚をきょうだい皆でわけて食べているんだ』『皆の家は違うの?』と颯太くんが言ったので、子どもがとてもショックを受けていました。写真の頃は既に不登校気味でね。昼夜逆転の生活も多かったようで、学校にもなかなか来られていなかった。 それでもお昼前、お姉ちゃんや2つ年下と弟と一緒に登校して、給食を食べにきていました。颯太くんは特にカレーが大好きで、給食の献立がカレーの日はよく来ていました。給食費は未納だったけど、先生も保護者も事情をわかっていたから何もいわなかった。『お腹いっぱい、給食を食べに学校おいで』と…」
母親は「学校には行かせなくてもいいと思っています」とキッパリ 子どもたちを学校に通わせようとしなかった母親に対して、周囲から非難の声もあがっていたという。校長や担任も頻繁に颯太くんの自宅を訪れていたが、母親は学校に対して不信感があったと当時のママ友は証言する。 「下の子たちも幼稚園や保育園に通わせていなかったので、懇親会のときに誰かが指摘したんです。でも『ウチは学校には行かせなくてもいいと思っています』とキッパリいわれました。お母さん自身も小・中学校とほとんど学校に行っていなくて、それでも自力で勉強して、看護師になれた。『だから大丈夫です』と。 ただ、学校や地域っていろいろ助けになることがあると思うんです。お母さんと連絡がとれる環境だったら、颯太くんの怪我や異変にも誰かが気づけたんじゃないかと思います」 一家と関係した揉め事は、白岡市に引っ越す以前の蓮田市内の自宅でも数多く目撃されている。颯太くんが何らかのトラブルに巻きこまれた可能性もある。 「内縁の夫であるAさんとは、蓮田の頃から一緒に住んでいました。その頃もAさんは大きな車に乗っていて、仕事は何をしているのかよくわからなかった。家にはAさんの他にもAさんが子分のように可愛がっていた年下のBさんがよく出入りしていて、一時期は一緒に暮らしていました。Aさんの見た目が髪の長い今風なのに対して、Bさんは真面目な感じでした。ある時からBさんはみかけなくなりましたが、その時期には一家に警察が何度か出入りしていました」
(一家の知人)当時のママ友によれば、シングルマザーである母親はこれまでも男性関係で苦労をしてきた。 一時期は、交際男性からのDVがあまりにひどく、その暴力から逃れるために公共機関が提供する“DVシェルター”に避難したこともあったという。 「その男だけでなく、離婚した前の旦那さんと別れる際も随分と揉めていた。看護師の仕事も職場でのトラブルで辞めることになり、金銭面でも随分と苦労するようになっていました。家賃も滞納していて、気づいたら引っ越してしまった」 白岡市内の颯太くんの自宅は今も規制線が敷かれ、県警の懸命な捜査がおこなわれている。事件の早期解決を願いたい。
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