- ニュース全般
- 富山地方鉄道富山港線
- 22/01/19 18:37:01
「琵琶湖の水、止めたろか!」 いや、実は120年前に京都市が止めてます
1/19(水) 10:31 Yahoo!ニュース
1896年の琵琶湖大水害で、京都市が封鎖した大津閘門。滋賀県民に激しい怒りが沸き上がった(大津市)
「琵琶湖の水、止めたろか」は、下流の京都市民らにからかわれた際、滋賀県民が反撃する言葉として広く知られている。しかし、120年以上前、琵琶湖の水を実際に止めたのは、京都市の方だった。
琵琶湖第1疏水が完成した6年後の1896(明治29)年9月12日、京都新聞の前身、日出新聞は1面で「疏水第一閘門(こうもん)の防水」と報じた。琵琶湖大水害と称される豪雨で疏水に水が押し寄せ、水害を危惧した京都市は大津閘門を封鎖。山科村(現京都市山科区)村長が閘門近くに駆け付け、「閘門にて防ぎきれぬ時は全村水底に葬らるると、(市の)水利事務所員に激烈なる談判を試むる」との緊迫感も記した。第1トンネル東口にも鉄扉や土俵が設置され、封鎖は徹底的に行われた。
滋賀県側の怒りは激しかった。7日後の紙面を見ると「大津町(現大津市)は封鎖で浸水量が増したとして京都市に対し、閘門開放を請求」したが、京都市は「閘門の開閉は市の自由で、要求には応じ難し」と拒否した、とある。府も京都市の考えを支持したことから、県は内務省に「(府の態度は)条理に背きたるもの」との抗議文を送っている。
封鎖を検証する論文を発表した京都大文学研究科非常勤講師の白木正俊さんは「開通時、滋賀県側の懸念は取水による水不足が主で、増水時に封鎖することを想定もしていなかった」と分析する。
- 0 いいね