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- 21/07/07 15:49:15
群馬県太田市内のパチンコ店で1996年7月7日、横山ゆかりちゃん=当時(4)=の行方が分からなくなった事件は7日、未解決のまま25年を迎える。最愛の娘の帰りを待ち続けて四半世紀。父の保雄さん(54)が上毛新聞の取材に応じ、無事を願う切実な思いを明かした。
25年前のパチンコ店内の様子はずっと忘れられないという。ゆかりちゃんは景品所を見て、「パパ、花火取って」とねだった。「分かった。パパが取ってあげる」と言うと、にっこりと笑顔で喜んでいた。
パチンコ台に座る両親の間を行き来して、店内奥にある長いすに座っていた姿も覚えている。店内での出来事だけでなく空気感も、ありありとよみがえる。 だが、それ以前のゆかりちゃんをはっきりとは思い出せない。生まれてから4年間、保育園の運動会や夏祭りなどいろいろな行事があったはず。「なぜ思い出せないのか…。ゆかりがいなくなったショックが大きすぎて、事件当日の記憶ばかりが残ってしまっているのだろうか」。
25年もの歳月が経過して、事件前の記憶がすっぽりと抜けてしまったかのような感覚が続いているという。 事件当時8カ月だった次女(25)と、事件後に生まれた三女(21)は、毎年7月7日が近づくと、「お姉ちゃんに早く会いたいね」と言うくらいで、それ以上はゆかりちゃんの話をしない。「2人なりの親への優しさなのだろう。話さなくても、家族全員が帰りを願っているというのは分かっているんだから…」
2011年、保雄さんは同市と栃木県足利市で1979〜96年にかけて相次いだ未解決の女児殺害・行方不明事件の被害者家族会を立ち上げた。代表を務め、事件の真相究明を求めて国に捜査の徹底を訴えたり、街頭での署名活動をしたりしてきた。 しかし、高齢化が進み、ここ数年は他の家族と連絡が取れていない。当時集めた署名はまだ手元にあり、「無駄にはできない。
少しでも解決に近づけるなら、自分が動いていくしかない。コロナが収束し、しかるべき時が来たら闘うつもり」と力を込める。 11日はゆかりちゃんの誕生日だ。不明当時4歳だった保育園児は30歳になる。
「『事件25年』『30歳』が節目のように言われるが、家族にとっては区切りなんてない。無事に生きて帰ってきてほしい。その思いはずっと変わらない」 保雄さんは「コロナ下だが、外に出たときに少しでもゆかりに似ている人がいれば、どうか情報を寄せてほしい」と訴える。
(時田菜月)◎情報提供に懸賞金、謝礼金 警察庁は事件解決に結び付く情報提供に対し、上限額300万円の公的懸賞金を支払う。太田遊技業防犯協力会も独自の謝礼金(上限額300万円)を用意している。
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