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泰葉が怒りの感情がない、と言うことについて。①
※興味ない方はスルーよろしくです。
私がPTSD、双極性障害で1998年に入院していた東京都新宿区に当時いらした主治医の先生がネットで説明している怒りの感情について。
https://www.nippon.com/ja/features/c05003/
「怒り」は嫌悪すべきものだろうか?心の奥にある「怒り」や「哀しみ」に耳を傾けることで、初めて解き放たれる感情がある。
中略
感情には2種類ある
私たちが感情と呼んでいるものは、必ずしもその全てが「心」から生じているわけではないことに注意する必要がある。
しかもややこしいことに、「感情的」と形容されるようなものは、ほとんどが「頭」に由来するものなのだ。
「頭」はコンピューター的で、事物をコントロールしようとしたり、損得計算や比較、シミュレーションを行ったりする場である。よって、この機能がもとになって生じるような感情は、すべて「頭」由来のものである。
未来や過去をシミュレートして生ずる「不安」「後悔」はその代表的なものであるし、物事が思い通りになって「うれしい」とか、思い通りにいかないから「いら立つ」といった欲望に基づく感情も、「頭」のコントロール志向によって生じるものである。さらに、他人と比べることによって生ずる「劣等感」「優越感」「嫉妬」「蔑(さげす)み」なども、「頭」由来の感情なのだ。
ここでは、区別のために「頭」から生み出される感情を「浅い感情」と呼ぶことにしよう。これは、「心」由来の「深い感情」とは、全く質の異なったものである。
「心」由来の感情は、単純化すれば喜怒哀楽の4つである。そして、「心」は愛の場所なので、これらの感情はいずれも、愛のバリエーションである。
相手をコントロールしようとする欲望やエゴの押し付けといった邪悪なものに遭遇したり、それが自身に向けられたりしたときに「心」が発動する迎撃ミサイルのごときもの。それが、義憤としての「怒り」である。また、悲惨なものや気の毒な状態のものに対しては、「心」は慈愛の「哀しみ」を生じる。生気にあふれたものに「心」が共鳴し躍動すれば、「喜び」や「楽しさ」が生ずるのだ。これらが「深い感情」である。
感情の井戸
しかし、「心」のフタが閉じられた状態だと、「心」で生じた感情は出口を失い、ある順番で「心」の中に閉じ込められてしまうことになる。
ちょうど「心」の中に井戸があって、フタに近い方から「怒」「哀」「喜」「楽」の順番で感情がたまっている。この順番は、私が臨床経験を積み重ねる中で明らかになってきた重要な所見である。
注目すべきなのは、フタに近い方に、一般的にはネガティブな感情と考えられている「怒」「哀」があり、奥深い場所にポジティブな感情と呼ばれる「喜」「楽」があることだ。
上にある「怒」「哀」がそこに居座ったままでは、下にある「喜」「楽」は外に出てくることができない。つまり、自己啓発本などで提唱されているような「ネガティブな感情に振り回されず、ポジティブな感情を大切にしましょう」といったことは、実行不可能な理想論に過ぎないことがわかるだろう。近年、このような誤った考え方があちこちで唱えられているが、その原因は、頭が生み出す「浅い怒り」と心に由来する「深い怒り」とが、きちんと区別されていないところにあるのではないかと考えられる。
◆そもそも、「怒り」や「哀しみ」も愛の表現形なのであって、これを単純にネガティブと見なしてしまっているところが、大きな誤りなのである。◆- 5
21/01/16 06:16:37