- なんでも
- 長宗我部盛親
- 20/10/21 18:32:33
一橋大出身ひきこもり50代男性が告白 勉強嫌がると「お母さん、死んでやるからね」と脅され…「毒母」に食い潰された人生〈AERA〉
子どもの人生を支配する「毒親問題」は、母娘間で語られがちだが、実は母と息子間にも存在する。それは中高年のひきこもりにもつながっている。AERA 2020年10月19日号で、ノンフィクション作家・黒川祥子氏が当事者の声を聞いた。
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子どもを支配したり傷つけたりして害になる「毒親」。なかでも「毒母問題」はこれまで、母娘間のものとして語られることが多かった。だが、母と息子間にも毒母問題は確かに存在する。そう、気づいたのは、中高年ひきこもりの当事者会「ひ老会」で語られた、男性たちの痛切な言葉からだった。
「ひ老会」を主宰する、ぼそっと池井多さん(58)自身、母親に人生を食い潰された、「毒母」の被害者でもあった。現在、うつ病で生活保護を受け、一人で暮らしながら、ひきこもり当事者としての発信を続けている。
池井多さんは昭和8年生まれの父、昭和11年生まれの母の第1子として生まれた。世は高度経済成長期、ただし当時の一般家庭と異なり、一家の権力を握っていたのは母親だった。
「父は工業高校卒で、中小企業の平社員。母は女子大卒の塾経営者、父の3倍は稼いでいた」
■常に緊張を強いられた
幼い頃より、母親から呪いのような言葉をかけられて育った。
「あなたね、お父さんみたいになったらおしまいよ。学歴もない、収入もない、才能もない」
父の背中に向けて放たれる侮蔑が、子どもにとってどれほど耐え難いか。加えて「一橋大学に入らなければならない」という母親の厳命を背負わされた。
家庭はあたたかな場所であったためしはなく、常に緊張を強いられた。母親の夕食準備は、いつもこの言葉から始まった。
「おまえ、夕ごはん、何が食べたいの?」
希望が言える関係ではないゆえ、答えは決まっていた。
「なんでも、いい」
「なんでもいいじゃ、わからないわ。何か、言いなさい!」
母親は、意図通りに誘導する。
「スパゲティ食べたくない?」
「え? スパゲティ食べたいの? そう、食べたいのね!」
こうして目の前にスパゲティが置かれても、食は進まない。その様子に母親は激昂する。
「食べたくないなら、食べなくていい!」
皿を取り上げ、スパゲティを流しにぶちまける。この頃になると、父親が帰宅する。
「お父さん、この子、スパゲティが食べたいというから作ったのに、『こんなもの食えるか!』って捨てちゃったのよ。ねえ、お父さん、この子、殴って」
父はズボンからベルトを取り出し、息子を打つ。食事ばかりか家族旅行でも、母親による「冤罪」が作られ、父親が“刑”を執行するのが日常だった。
一橋大入学のため小学生でも、夜中2時までの勉強が強いられた。嫌がると、「お母さん、死んでやるからね」と脅された。
「幼い子にとって親の死は、自分の死より恐ろしい。抵抗する術はなく、どんな理不尽でも受け入れていました」
無事に一橋大に合格したが、母親からは「おめでとう」すらなく、返ってきたのはこの言葉。
「おまえは明日から、英語を勉強しなさい。私は一橋の英語のレベルをよく知っているから」
報酬なき人生だったと、池井多さんは振り返る。大学4年次、大手企業の内定を手にしたが、身体が固まりアパートから出られなくなった。
「ここまでだと思いました、母の言うことを聞くのは。就職したら母の虐待を肯定してしまう」
世は1980年代半ば、ひきこもりという概念がなく格好がつかないと海外へ出た。バックパッカーをしながら安宿にひきこもる「そとこもり」を経て、50代後半まで紆余曲折はあったものの、うつで働けない状態だ。
「今でも毎朝、母親への怒りで目が覚めます。うつの原因は、母親への怒りです」
20年ほど前、家族療法を提案したが、母親は自身の虐待行為を全面否認。以来、実家とは音信不通のままだ。(ノンフィクション作家・黒川祥子)
※AERA 2020年10月19日号より抜粋
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