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- 19/11/17 15:18:27
2008年3月の府南部。高校の卒業式を終えたばかりの吉村侑紀さんは散髪に向かった。かわいがっていた愛犬を自宅の台所で抱き上げて顔を寄せる。「行ってくるわ」。母親の容子さんに告げ、ミニバイクで家を出た。
侑紀さんを見送ってから買い物に行っていた容子さんの携帯電話に病院からメールが入った。「侑紀君が事故に遭ったので来てください」。慌てて車で駆けつけると、息子は既に集中治療室。会話はできない状態だった。
事故時、侑紀さんはヘルメットをかぶっていなかった。家を出てすぐ警察官に見つかって追跡された。追跡を振り切って狭い路地を逃げる中、車と出合い頭にぶつかって転倒。全身を強く打った。
「とにかく命だけでも助かってほしい」。病院で祈った。開頭手術は無事に終わったが、意識不明の状態が続いた。容子さんは声を掛けるのをやめなかった。
数週間後、侑紀さんの目が開いた。うれしくて必死に語り掛けたが、焦点は合わない。ドラマのように、いつか前のように話してくれるかも。そう信じたが病状は好転せず、意思疎通はかなわないままだった。11年がたった。
「汗だくやん」。容子さん(54)が病院のベッドの侑紀さん(30)に声を掛け、タオルで顔を拭う。19年6月の府内の病院。侑紀さんはぱっちり開いた目できょろきょろと見回す。喉元には気管切開の跡があり痰(たん)がからんでいるのか、ジュゴゴゴ…という音を機器がたてる。棚を閉めるバタンという音がすると驚いたように目を閉じる。
「怖かった事故を思い出すんかな」。容子さんが気遣う。事故で運ばれた病院に11年、ほぼ毎日通っている。事故当初は知人が見舞いに来てくれたが徐々に途絶え、今は容子さんら家族だけが病室を訪れる。
病室には縫いぐるみを置き、ベッドサイドには元気だった頃に海辺で撮った侑紀さんの写真。できるだけ明るい雰囲気にしたいという思いからだ。病室を出た容子さんは、声を絞り出した。「病室に入るたび、あの日に引き戻される。本当に地獄みたい」
警察からは追跡に問題なかったという説明を受けた。乗用車を運転していた女性は事故当日に病院へ来たきり。
「相手を責めるつもりはない。でも事故が起こってから11年、まだ苦しみが続いていることを知ってほしいんです」
ヘルメットをかぶらずにミニバイクを乗っていた非は息子にある。警察に見つかったならなぜ逃げたのか。言いたいことはたくさんある。「親不孝して。お母さんの11年を返して」。だがベッド上の姿を見ると「これほどの償いが必要なのか」という思いがこみ上げる。
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