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- 文応
- 19/04/05 23:23:25
2019年04月04日 07:48
4月1日、新しい元号が「令和」に決定しました。早くも「令和」をモチーフにしたお菓子やTシャツ、歌まで登場するなど、日本では大フィーバーが起こっています。また、諸外国でも、元号決定について大きく報じられているようです。
(略)
面白くないのは中国です。しかも、新元号はこれまでの中国の漢籍ではなく、初めて万葉集という国書から取られたわけです。
中国共産党系の「環球時報」は当初、新元号が万葉集から取られたことについて、「初めての脱中国」と速報しました。しかし、午後になって「万葉集は中国の古典文学の影響を受けている」ということで、「『令和』は中国の影響を消し去ることができない」と記事の内容を修正しました。
いかにも中国は「いまだ日本は中国の影響下にある」ことを強調しようとしているわけで、非常に滑稽です。いわゆる「中国のおかげ論」であり、文化すべてを中国が日本に下賜したというフィクションを語り、新たな「天朝朝貢冊封体制」を構築しようとしているわけです。また、日本政府が台湾に通知したことも中国は気に食わないのでしょう。「日本は勝手に台湾に新元号を通知したけれど、その元号は中国のお陰で生まれたものだ」と釘を刺したわけです。
たしかに漢字は中国から入りましたが、日本では音読み・訓読みに分け、さらに仮名を創出して独自の使用法を展開してきました。9~11世紀ごろは、アジア諸国で独自の文字を創作することがブームになり、日本では仮名がつくられて、国風文化が花開きました。要するに、中国離れの末に、独自文化が隆盛したわけです。894年に遣唐使が廃止になったのも無関係ではありません。
新元号の「令和」は、8世紀前半に大宰府の大友旅人の邸宅で開かれた「梅花の宴」で詠まれた32首の歌の序文から取られたものです。大宰府といえば、京の都から左遷された菅原道真(845~903年)が祀られている太宰府天満宮が同地のシンボルとなっています。
道真は京の邸宅の梅の花を非常に大切にしていて、太宰府赴任にあたり「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて春な忘れそ(忘れるな)」という歌を呼んでいます。そして、道真によって可愛がられていた梅の木は、大宰府に赴任した道真を慕って、京の邸宅から梅が飛んで来たという「飛梅」が有名です。
そして、894年に遣唐使を廃止したのは、まさに菅原道真であり、中国からの影響を排除したわけです。そのような由来からすると、漢籍ではなく、万葉集から「令和」という新元号が生まれたのも、ある意味で歴史的転換なのかもしれません。
とはいえ、漢字については、多くの人が勘違いしています。確かに中国からもたらされたものですが、その表現の創造性には限界があり、約10世紀の唐末には、造語力のみならず拡散力も衰えました。
その結果、日本の仮名文字創出のように、アジア諸国で独自の文字創出が進み、東南アジアを中心に、インドサンスクリット系の表音文字だけでも60前後が創出されています。
漢の天下崩壊によって、中華文化史は歴史の没落を迎えました。10世紀以後の文字史からすると、仮名文字が主役となったわけです。
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