- なんでも
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高学歴というか高偏差値の大卒に対する話ですね。
「高偏差値の大卒は使えない」
というのはステレオタイプな言い方で正しくありません。
正確には
「受験勉強だけしかして来なかった高偏差値の大卒は使えない」
なのです。
親は何としても子を良い学校へ進学させようと、塾だ予備校だ家庭教師だと、とにかく寸暇を惜しんで子に勉強させようとします。
その結果、友達づきあいはダメ、部活もダメ、恋愛なんて大学に入ってから、とにかくすべてを受験勉強に捧げなさいと言われて、それに大人しく従った人も少なからずあります。
そうすると人間的にカタワ(差別用語でした)になります。
要するに奇人変人のできあがり。
出身大学は良いけれど、人格形成にゆがみがあって人として使えないのです。
そうゆう歪んでしまったエリートも少なくありません。
ただし、普通の人と同じように友達を持ち、部活もし、恋愛もそれなりにしてきて高偏差値の大学に入った人も多くいます。
まさにできる人。能力の高い人なのです。
実は、高偏差値の大学にさえ行けば、多少奇人変人になっても仕方ないというのが昭和時代にはあったのですが、現在ではそれが認められません。
奇人変人を雇用したばかりに、普通の人以下のパフォーマンスに陥って会社組織がガタガタになったことがあるため、現在は書類選考では大学や学部名で選択するものの、本採用では人物重視になっています。
ですから、確かに東大卒だけで優秀な人だと判断することはできないですが、東大卒で普通の人なら優秀ということです。
結局、普通の人と同じように過ごしつつも高い学力を得られた人がエリートということでしょう。
東大卒の四割は奇人変人といいますが、六割はやはりエリートだそうです。
勉強漬けにならないと合格しないのは事実ですけど、幼い頃から勉強漬けを強いられてきた人は些かおかしいというだけです。
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18/06/15 14:24:00