- なんでも
- 宿題は最終日にやる派
- 17/08/19 03:13:15
子や孫からの『ねだられ貧乏』
みじめさを嫌う親は、「このくらいは持っていて当然」「買って当たり前」というお金の使い方をしますので、子どもにもそれが自然に伝わります。子どもは、それが「常識」だとしてとらえていきます。
まだ、自分では十分稼げない子どもたちに、必要なものを自分でお金の工面をして買うことを教えるのではなく、必要なものだからと親が買い与えてしまうのです。
こうして育った子供は、親にねだるのが上手になります。
スキルアップのために、資格取得の費用をねだったり、婚活のためにとブランド物の洋服をねだったり。「必要なのだから」と言えば、親がなんとかしてくれると思っているわけです。
子どもが親世代になっても、「孫の教育のために、こういう習い事が必要なので、援助してほしい」とねだることもあるでしょう。
親は、子どもにも孫にも、いい顔をしたいので、ねだられると嬉しくなって、おもちゃやランドセル、ピアノの発表会の洋服も買ってあげたくなってしまうのです。
「孫へのお祝いもやれないなんて、みじめなことはできない」そう思う人もいるかもしれません。でも、それでよいのでしょうか。
子どもが困っているのであれば、助けてあげたいと思うのが親心です。
ですが、それも限度があります。後先考えずに、援助をし続けていったら自分たちの老後のお金は無くなります。親は無尽蔵にお金を持っているわけではありません。
自分たちの老後のお金を切り崩しながら、援助を続けていって、貯蓄が無くなったらどうしますか?毎月の年金では生活が困窮するようになったら、子供に頼りますか?子供に迷惑をかけられますか?
ねだられ続けた結果、どうなるかはお分かりですね。
「みじめな老後」まっしぐらです。
みじめさを嫌うあまり、身の丈以上の支出にも気がつかないので、「みじめな老後」にまっしぐらな落とし穴に落ちますよ、というお話でした。
本当にみじめでない老後を目指すのであれば、
「こんなこともできない生活は『みじめ』だ」という思いにとらわれないで、身の丈に合ったお金の使い方=本当に自分にとって必要なものを見極める力をつけてほしいと思います。
「お金さえあれば、満足のいくものを買える」のではなくて、自分にとって、「何が心を満たすもの」であるのかも見つけていきましょう。
そうすれば、今の支出も見直せて、貯蓄を増やすことは可能です。落とし穴にも落ちないですむでしょう。
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