- なんでも
- 匿名
- 15/10/09 20:13:21
ってありますか?
主はいつもおばあちゃんちに遊びに行くとパイナップルやナッツがどっさり乗ったケーキを焼いてくれるんだけど、本当はケーキ屋さんのショートケーキが食べたかった…
っていう思い出が最初に浮かんだ(笑)
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ってありますか?
主はいつもおばあちゃんちに遊びに行くとパイナップルやナッツがどっさり乗ったケーキを焼いてくれるんだけど、本当はケーキ屋さんのショートケーキが食べたかった…
っていう思い出が最初に浮かんだ(笑)
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下の階に住む祖父母宅に週末泊まりに行ってて、夜の8時頃から祖母と一緒に本屋さんの隣にあった喫茶店によく行ってた。
その喫茶店は祖母のお友達がやっているとろで、喫茶店と本屋さんはドアひとつで繋がっていたから夜にひとりで本屋さんをウロウロするのが大人な気分で楽しかった。今はなくなってしまった本屋さんだけど、今でも本屋さん独特の香りを思い出す。
喫茶店では毎回カルピスと大好きなバナナトーストを頼んでた。大人になってから自分でバナナトーストを焼いてみたけど、なぜかあの時の味にはならない…。
祖父母は今もすごく元気で頻繁に会うけど、昔のように一緒に出掛けることは少なくなったなぁ。
>>9
↑
母方の祖母の話です。
父方の祖父母は私は5人きょうだいですが、私だけが気に入らず、いつも虐めてきた。
私の姉も一緒になって虐めてきた。
祖父母は近所に住んでいて、両親は共働きだったから学校から祖父母宅に帰るのが日課だったが、帰るのが苦痛だった。
私が中3の時に祖父が亡くなったが、涙は全く出なかった。
祖母は1人になった寂しさから?急に優しくなったが、小さい頃に言われた
お前は馬鹿だ、何を言ってるだ・・・
などの言葉や態度は忘れるハズもなく、優しく出来なかった。
10年前に亡くなったが、晩年は誰も祖母宅に近寄らず、事故死している。
涙は祖父同様、出なかった。
祖父母宅は今は妹が住んでいるが、嫌な思い出しかないから、近寄りたくない。
山に囲まれ、お墓があるから怖いのもあるが。
母方祖父母は私を凄く可愛がってくれたから、今でも感謝しています。
私が1歳の時に祖父が亡くなっているから、会ってみたい。
思い出って言うか…母方は7人兄弟で従兄弟が沢山いるんだけど、祖父に抱っこされたのは私だけ。二十歳の時に守護占いってのに視て貰ったら、背後にいるのが祖父だった。占う前に言ったのは生年月日と名前だけ。
私の守護霊は祖父ってことで思い出とはズレたけど。
父方の祖母が好きすぎで亡くなって10年もたつのにまだ会える気がしてならない。
小料理屋してたらしく料理は何を作っても絶品。
編み物も得意だった。運動会になると祖母にでんわしてしつこく巻き寿司をリクエストしてたな。 いつもおいしく作ってくれた。
孫三人もいるよ。優しい旦那もいるよ。会いたいな~‥
父方の祖父、生まれる前になくなってるから、わからない。
父方の祖母、パチンコによく連れていかれて帰りご馳走してくれた。お姫様みないな洋服や食べたい物どっさり買ってくれた。
母方の祖母、今の母親そっくりで、すぐ怒って嫌いだったから、ほとんど話してないけど、七五三や成人式の着物を呉服屋さんで買ってくれた。家に行くと、たくさん夕飯が出てきて、食え食え言ってた。
母親の祖父、美術館巡りが好きで、いろいろ連れていって貰った。山下清展の帰りに七夕祭りに行って花火大会みたのが一番おぼえてる。私の子が産まれた時、じーちゃんしか生きてなかったけど、おもちゃや服やお小遣いを会うたび毎回くれた。
大好きな祖父母に花嫁姿、子供を見せて、抱っこさせたい。
会いたいな。
ドラえもんのおばあちゃんの思い出を見るとマジで泣けるし、マジで会いたくなる。
私が4歳で妹が産まれるんで預けられたんだけど、夜中に見た猿の惑星を忘れられない、夜中って程じゃないかったのかもしれないけど、部屋を暗くして布団から見た。
それと当時、食が細いのと好き嫌いがあって、白ご飯の上に甘いキナコをかけたキナコごはん。
アレはハマったなー。
私が高3の時におじいちゃんが認知症になってしまった。
おじいちゃんはプロレスが大好きだったから、プロレス観戦しに行こうと誘って、二人で観に行った時のこと。
「孫と久しぶりのデートだなぁ!うれしいなぁ。こうやってプロレス見に来たことはボケが進んでも忘れたくないよ…」と言って泣いていた。
おじいちゃん自身も症状が進んでいくのが怖くて辛かったんだろうな(T_T)
おじいちゃんとのデートは忘れられない思い出です。
北海道のばぁちゃんが我が家に遊びに来た時に母親と台所で料理しながら、人参のヘタの部分切ったやつを私に見せて、このヘタの周りも切って使うんだよ、もったいないから…って言ってたのをなぜかよく覚えてる。
使ってないけどねw
ばぁちゃんとスーパーに行った時に、細かいのがなくて探してたから『お金あるよ!』って言ったら『なんでお金あるの?』って聞かれてる間に自分の小さいポーチから出したのが、おもちゃのお金だったのを凄く覚えてる。
母方の同居してたおばあちゃん。
肌が白くて胸大きくていつも化粧のいい匂いさせてた。一緒に寝たりお風呂はいってたなあ。
軽い反抗期中に脳卒中で亡くなっちゃった。具合悪くて寝出したから、ごはんとっておかないよーって意地悪言っちゃった。そのまま悪化して救急車で運ばれて次に会ったのは亡骸だった。
大好きだったのに未だに後悔してるよ。ってまた久しぶりに思い出したら涙出てきた。
小さい頃は毎週末、約2時間電車に乗って母方の祖父母の家に泊まりに行った。
必ずおじいちゃんは手作り水餃子やラーメン、おばあちゃんは卵焼きとかを作ってくれた。
帰るときはおじいちゃんは笑顔で、またおいでって言って握手、おばあちゃんは外まで出てきてくれてほっぺにチューしてくれた。お互いに見えなくなるまで手を振ってたなぁ。
もう二人とも亡くなっちゃってるけど、今でも会いたくなる。
爺ちゃんと婆ちゃんに育てられた様なもんだからいっぱいある。
爺ちゃんは余り喋らない人だったけど怒ると怖いけど優しい人だったと思う。
雪が積もるとバス停まで雪掻きしてあった。結構な距離なのに。
小学校の時とか帰宅が遅くなると黙って途中まで迎えに来てくれてた。
婆ちゃんは風邪とかひくとお粥作ってくれたり抱いて寝てくれた。
大きくなっても冷え性の私を「氷みたいだなぁ(笑)」って言いながら布団の中で手足暖めてくれた。兄と差別されてる私を可愛がってくれたなぁ。
ご飯が田舎料理だけどすんごい美味しかった。
爺ちゃん婆ちゃん居なかったらどう育ってたんだろうと思う。両親いるけど親だと思ってない。
死んだ爺ちゃん婆ちゃんが私の親です。