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■3.日露戦争の世界史的意義■
日露戦争の真実は、ロシアの南下をくい止めて、当時の帝国主義時代に、日本が国家の安全と独立を保った、という点にあるが、そればかりではない。
当時の国際社会で、この日露戦争がどのように受け止められたか、を以下に見てみよう。
・中国の国父孫文 どうしてもアジアは、ヨーロッパに抵抗できず、ヨーロッパの圧迫からぬけだすことができず、永久にヨーロッパの奴隷に ならなければならないと考えたのです。(中略)
ところが、日本人がロシア人に勝ったのです。
ヨーロッパに対してアジア民族が勝利したのは最近数百年の間にこれがはじめてでした。
この戦争の影響がすぐ全アジアにつたわりますとアジアの全民族は、大きな驚きと喜びを感じ、とても大きな希望を抱いたのであります。
・インド・初代首相ジャワハルラル・ネルー
日本の戦捷(せんしょう)は私の熱狂を沸き立たせ、新しいニュースを見るため毎日、新聞を待ち焦がれた。(中略)
五月の末に近い頃、私たちはロンドンに着いた。
途中、ドーヴァーからの汽車の中で対馬沖で日本の大勝利の記事を読み耽りながら、私はとても上機嫌であった。
・フィンランド大統領パーシキピ
私の学生時代、日本がロシアの艦隊を攻撃したという最初のニュースが到着した時、友人が私の部屋に飛ぴ込んできた。
彼はすばらしいニュースを持ってきたのだ。
彼は身ぶり手ぶりをもってロシア艦隊がどのように攻撃されたかを熱狂的に話して聞かせた。
フィンランド国民は満足し、また胸をときめかして、戦のなりゆきを追い、そして多くのことを期待した。
・トルコ
昭和四十四年に、山口康助氏(現・帝京大学教授)がトルコの古都ブルサに泊った時、ある古老が片言の日本語を混えて、
「ジャポン! ニチロ、アラガート(日本の人たちよ! 日露戦争に勝ってくれて有難う)」と、呼びかけてきました。
続いて古老は、日本が日露戦争に勝った時、トルコ人は狂喜して、息子や孫に「トーゴー」「ノギ」の名前をつけ、イスタンブールの街には、「東郷通り」「乃木通り」ができた事など、語ったそうであります。
続く- 0
13/03/28 22:32:30