- ニュース全般
- 匿名
- P10A
- 10/09/25 07:37:05
【なぜ親は一線を越えるのか】しつけと虐待の境界 体罰容認で判然とせず
2010年9月22日(水)08:00(産経新聞)
いやがる娘を引きずり出して鍵をかけた。泣き声が家の中まで響いていた。東京都の会社員、福岡由美子さん(45)=仮名=は長女(21)が小学生だったころ、しつけのつもりで玄関の外へ出していた。
「おもちゃを片づけなかったり、ほしいものをしつこくねだったりしたとき外へ出していた。殴っていないから虐待ではないという安心感もあった」
通院した精神科の病院で虐待の勉強会が開かれた。「自分の行為が虐待に引っかかると知ってびっくりした。でも、あとで大学のセミナーでしつけと虐待の境目を尋ねたら教授も言葉に詰まってしまった。専門家でも難しいのでしょうか」
「子どもの虹情報研修センター」研究部長の川崎二三彦さん(59)は「しつけは子育てに必要とされるものであり、虐待は明確に禁じられている行為だ。両者は本来、交わるはずがないのに、線引きが難しいといわれるのはなぜか」と自問し、こう述べた。
「それは、しつけと虐待の境界に『体罰』が割り込んでくるためだ。体罰によって、明らかに別物であるはずのしつけと虐待の区別がつかなくなってしまう」
◆尻たたく・大声はOK
愛知県豊橋市が平成19年、市内の成人1892人に調査したところ、「しつけのため子供を強くたたく」行為は51%が、「家に子供だけ置いて外出する」行為は62%が、虐待には当たらないと考えていた。
岡山大学の李○(=王へんに景)媛(イ・キョンウォン)准教授(49)=家族社会学=らは児童虐待防止法が施行された12年、宮崎市の父母802人に22の行為についてしつけと虐待の線引きを尋ねた。「しつけとして行ってよい」との回答が父母ともに6割を超えたのは「お尻をたたく」「大声でしかる」「手をたたく」の3つだった。一方、「どちらともいえない」が3割以上と判断が分かれた行為は「頭をたたく」「顔をたたく」「ベランダなど家の外に出す」「押し入れなど一室に閉じ込める」などだった。
わが国の児童虐待対応の先駆者の一人、故坂井聖二医師によれば、児童虐待の本質は次の2点だという。
「加害者の動機・行為の質によらず、子供が安全でないという状況判断」
「あるコミュニティーの中で最低限、親に要求される育児の範囲を逸脱したもの」
川崎さんは「2つの調査が示すのは、日本社会というコミュニティーがしつけの手段として体罰を容認していることだ。むろん体罰イコール虐待ではないが、社会の中に体罰を肯定する考え方がある限り、しつけや愛のムチと主張される暴力を毅然(きぜん)として否定することは難しくなる」と話す。
◆「温かみあれば」
夫と離婚し母子家庭で小学生の娘2人を育てる東京都の公務員、山川陽子さん(36)=仮名=は「しつけで子供に手を上げたことのない親は、それこそネグレクト、育児放棄だと思う」と話し、こう続けた。
「けれど、同じ手を上げるにしても、子供に説明して納得させる親は虐待にはならないと思う。それがないと威圧と恐怖だけが積み重なり虐待になっていく。子供から見て、しかられている中にも温かみがあれば虐待にはならないのではないか。うちの子は『お母さんは怒ったら怖いけど、でも優しい』と言ってくれる」
虐待防止活動を続ける民間団体代表、森田ゆりさんは「体罰は、大人の感情のはけ口であることが多く、恐怖感を与えることで子供の言動をコントロールする。即効性があるため、ほかのしつけの方法が分からなくなり、しばしばエスカレートして虐待になる。ときに取り返しのつかない事故を引き起こす」と話す。
- 0 いいね