- なんでも
- ゴンドラで入場
- 23/10/22 18:17:58
職場の同僚とよく話すうちにどんどん親しくなり、深い話をしてくれるようになった。被爆者の家族がおり、震災被害者でもあり、色々人生観が変わってしまいボランティア、特に災害ボランティアには継続して参加しているとか、濃い人生を歩まれているのが話す度に判明する。自慢とかじゃなくて。
遠い親戚に身寄りがないためほぼ面識がないのにお世話をしていたり、自身も震災のトラウマに悩まされながらも色々精力的に活動してる。
私なんて親に敷かれたレールの上に疑いもせず乗っかって何の苦労もせず平凡に生きてきた。
だからこの人のことが尊敬できるし興味深く話を出来るんだけど、もうひとりの同僚がすごく冷めた目で見てて、エセ苦労人にはあなたみたいにすーぐ感激感動してくれる人はちょろいよね、と。。。
その同僚は自分のことをそんなに話さないけど、話すも話さないも自由だから聞こうとも思わなかったの。
そしたら、人って、本当に辛い思いをしていたら簡単には話せないものなんだよって。
それだって人それぞれじゃない?
先の同僚みたいに色々話してる人っている?
話してる、話せてるって、それにだって理由はあるよね?
墓場まで、だけが美学ではないと思うんだけど、違うのかな?
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